致知出版社から出されている月刊「致知」に興味を持ち、一年間試し読みを始めました。先日届いた7月号に目を通していたところ、「私の座右銘」ページに現在サントリーホール館長を勤めていられるチェリスト堤剛氏の書かれた記事が目にとまりました。氏は世界的指揮者小澤征爾氏を始め数多くの素晴らしい音楽家を育てたチェロ奏者・音楽教育家齋藤秀雄氏に師事するほかに、桐朋学園卒業後に米国インディアナ大学で、かの名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケル氏に師事しています。私が共感した部分を紹介します。『インディアナ大学で師事したヤーノシュ・シュタルケル先生にも多くを教えていただきました。音楽のレッスンといえば、一時間のうち四十五分ほど練習してきた曲を生徒が弾き、残り時間で先生が指導をするというのが一般的ですが、先生は全くの逆。私が演奏するのは初めの十五分で、残りの四十五分はチェロについて、作曲家や曲などについて語りなさいというものだったのです。語学も不十分な私にとっては大変苦痛なレッスンでしたが、後にシュタルケル先生はこう私に教えてくれたのでした。「演奏家は楽器をよく演奏できるだけでなく、自分が何をしているかをよく知らなければいけない。それが分かるためには、言葉にできなければならない」と。・・・』
私は、演奏家ではありませんが、音楽を愛し、合唱を深く愛し実践を重ねてきた中で考えさせられた事の一つに、自分にとって音楽をするということは、何をしているのか、自分にとって、また家族にとって、はたまた、周りの人達にとってどういうことなのだろうか?形をまねるというだけでは、真の音楽の価値を理解できないし、作曲家が精魂を込めてその曲を作るときに迸った魂の動きを感じることはできないように思います。
堤剛氏が書かれた意味と違うところがあるかと思いますが、私としてはこのように感じました。

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