佐々木基之先生の著書「耳をひらくー人間づくりの音楽教育」(1977年柏樹社刊)、「耳をひらいて 心までー分離唱のすすめ」(1987年音楽之友社刊)この本のタイトルにある「耳をひらく」という言葉は、佐々木先生が合唱指導のとき、よくおっしゃられていた言葉で、佐々木先生のご指導の究極のねらいは「耳をひらく」ことだといってもいいと思います。
 似た言葉で、よく知られている(辞書にも載っている)「目を開く」と対比すると、その言わんとしていることがよく理解できるような気がします。「目を開く」とは、①(「開眼(かいげん)」の訓読)仏法の真理を悟る。②(混迷などから脱して)前途が開ける。③文字が読めるようになる。(広辞苑第五版岩波書店より)このように、「目を開く」とは、直読して「瞼を開く」ということを言っているのではないことは誰でも知っていることですね。
 同じように、「耳をひらく」ことは、言葉通りに単に聴覚神経をはたらかせることではないと思います。「目を開く」の場合には、方法論的には、目を閉じていても達成できることもありますが、「耳をひらく」場合には、「よく聴くこと」が必要ですね。ただ、「よく聴く」といっても、耳の穴をかっぽじいて聴くことだけではありません。聴覚神経だけでなく、すべての神経をはたらかせて聴くことだとおもいます。このときに「こころ」もひらいて聴くことが必要なのだと思います。
 佐々木先生は「耳をひらいて 心まで」の127頁でこう書いています。「和音聴音は、耳の良い人でも、心の在り方如何で正しく聴き取れなくなってしまいます。ですから、音を感じる訓練であると同時に、感覚の訓練になるのです。(中略)ですから苛酷な和音聴音だけいくらやっても、耳は音楽的に働くようにはなりません。分離唱によって和音感が育てば、音楽全体が聴こえるようになりますから、音の響きも、音の流れも自然に感じるように育っていきます。」
 「心の在り方」として、私の考えていることは、「自己主張」を抑えて自分の周りの人達と溶け合って共通のものを感じるように行動しようという心だと思います。このことを考えるとき、佐々木先生の「騙されたと思ってやってごらんなさい」という言葉が、いつも私の記憶の中で反芻されるのです。

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