このサイトのタイトルとは関係がありませんが、印象的な記事を書き留めておきたいと思います。

昨年暮れに入院した病院の廊下にある掲示板に張り出されていた新聞記事が目にとまり、じっくり読ませてもらいました。
医療技術が進み、その恩恵にあずかっている人も大勢います。かくいう私も、その一人です。
 高齢化が進んだ日本の社会の中で、人々の幸せという観点で見たときに、医療のあり方が問われる時代になって来ていることも事実だと思います。こうした中で、この記事を読み、強烈な共感を覚え、この記事で紹介された太田秀樹医師が取られている行動に大きな拍手を贈りたいと思いました。同時に、病院がこうした記事を掲示して、病院としてのメッセージを発信しているんだ、とある連帯感のようなものを感じました。

 以下に、この記事の一部を引用させてもらいます。ちょっと長くなりますが、読まれた印象をコメントいただければ幸いです。

 インタビュー「在宅医療で見えたもの」
 最期まで自宅で自分らしくある「天寿」を支える

 病院中心の医療から、住み慣れた地域や在宅で支える体制への転換を政府は打ち出した。65歳以上の人が人口の30%を超え、団塊の世代が75歳以上になる「2025年問題」に対応する狙いだが、地域のかかりつけ医として在宅医療に取り組む医師の太田秀樹さんは病や死への向き合い方を見直すべき時期だと考えている。太田さんに聞いた。
—–20年余り前に、なぜ在宅医療を始めたのですか?
「それまでは、自分が働いていた大学病院は最高の医療を提供できる、最先端の医療は患者を幸せにできる、と信じていました。でも大学は研究をし、論文を書く場でもあります。患者第一ではないことも少なくないと感じました。たとえば、大腿骨骨折の手術をした90歳の人が、歩けるようになって退院しても、寝たきりになって病院に戻ってくる。転んだら困ると家で寝かせきりにされるからです。そういう患者はやがて床ずれができて、肺炎になって亡くなる、という経過をたどります。退院後の家庭での介護力や療養環境を考えずに病気だけを診た結果です。これでいいのかと漠然と疑問を抱いていました。」
「ちょうどそのころ、車椅子の人たちから医師の同行がないと海外旅行に行かせてもらえないと頼まれ、ついて行きました。1991年です。車椅子は医師として処方していたのですが、押したことがなかった。じゅうたんの上では車椅子が進まない。その不便さに初めて気づきました。旅行中に一緒に酒を飲むと、『医者は都合のいい患者の都合のいい病気しか診ていない』などと医療への不信を語る本音が聞けました。ショックでしたが、よく考えると、そうだな、と。医師と患者が信頼関係を築ける医療はどうあるべきなのか。この旅行で感じたことや大学病院で感じていた疑問が、在宅医療を始めるきっかけになりました」
—–実際に始めてどうでしたか?
「経営は苦しかったが、楽しかった。何よりも患者さんが幸せそうでした。末期のがん患者でも表情が明るい。孫がそばにいて、ペットもいる。最期までたばこを吸いたいと言って吸っちゃう。同じことをしたら病院ではとんでもない患者と言われますが、おいしそうにたばこを吸い、家族に囲まれ笑顔も出る。いい表情をしているんです。自分もこういう最期を迎えたいと思いました」
「診療所は午前は外来、午後は在宅診療です。最初は赤字で、ダメかなと思った時もありました。94年に診療報酬が上がり、96年からは黒字に。今では診療所4ヵ所と訪問看護ステーション3ヵ所、介護老人保健施設などを運営しています」

—–日本では病院で亡くなる人が多いですよね。
「8割が病院で亡くなります。がん患者の場合は9割。日本は病院死の割合がとても高い。米国はともに4割前後、オランダは全体の病院死が35%、がん患者は28%です。昔は日本でも自宅で亡くなるのがふつうでした。76年に、病院での死亡率が自宅での死亡率を上回ります」
「僕の考察ですが、73年に政府の『1県1医大構想』が決まり、10年ほどで医師数は倍増します。臓器別や疾病別の専門医の増加につながりました。同じころ老人医療費が無料化されます。福祉政策が未整備で家族に重い介護負担がかかる状態だったこともあって、医学的に入院の必要がない高齢者の入院が増えます。CTの設置など医療の高度化も進み、何でも病院が解決してくれるという病院信仰が生まれた。風邪でも病院に行く人が増えました」
—–大きな病院に頼りたいという気持ちはわかります。
「一橋大教授の猪飼周平さんが著書『病院の世紀の理論』で書かれていますが、21世紀のいま、『病院の世紀』は終わりました。例えば、腎疾患の患者は尿毒症では死ななくなりましたが、治せないから透析し、移植をします。でも、遺伝子解析や人工臓器ができるようになっても、人は死ぬのです。もう医学の限界を認めなければなりません」
「超高齢社会を迎えるにあたって、治せるものは病院で治すが、治せないものは治せないと、患者や家族、医療関係者を含めた社会全体が受け入れることが必要です。そうでないと、いつまでも病院で濃厚な医療をすることになる。必要なのは、1分でも1秒でも長く生きる長寿ではなく、天寿を支える医療です」
「たとえば、最期の時に病院に運んで治療するのではなく、家族が休暇を取ってそばにいるという医療です。そのためには『死』を受け止める覚悟が必要です。少しでも長く活かそうと死のそのときまで点滴を続けることがありますが、点滴すればむくんで苦しくなる。しなければ眠るように安らかに旅立ちます」

  医学の限界を知り 「人は必ず死ぬ」 受けとめる覚悟を

「うちの診療所ではこれまでに約2千人の在宅療養を支援し、約600人を自宅で見送りました。自宅でみとった患者さんの割合は開業した92年当時は20%でしたが、今は7割近い。昔は『家で死なれたら困る』『世間体が悪い』という人も多かったのですが、最近は患者さんや家族の意識も変わってきたと感じます」

—–在宅医療は病院より質が低いと言う人もいます。
「在宅でも、エコーやX線、外傷の縫合もできます。質をはかる尺度を『数値改善』に限れば、在宅の方が低いと言う人もいますが、生活の質を考えると、病院より質のいい医療をしています。たとえば、病院で放射線をあててがんの大きさが半分になっても、だるくて苦しくて寝たきりになった末に命を落とすのと、放射線治療をせずに自宅で緩和ケアをし、苦しくないようにして好きなものを食べて、家族と暮らすのとを比べてください。命は短いかもしれないけれど、後者のほうが幸せじゃないですか」
「もちろん、苦しくても、とにかく病院で治療を受けたいという人は病院に入院すればいい。けれど、天寿を受け入れ、安らかに自宅で死にたいという希望があっても、在宅医療を提供する態勢が整っておらず、その希望が叶えられないという、いまの状況が問題なのです」
「肝臓がん末期のある男性患者は認知症があり、病院では縛られて暴れていました。80歳近い方でした。お迎えが近いと家に返され、僕が在宅診療をしました。病院では酒は厳禁ですが、せっかく帰ったんだから楽しく生きたほうがいいと、本人の希望で酒を飲み、たばこも吸いました。一時は自転車に乗り、簡単な大工仕事までするぐらい元気になりました。いつ亡くなってもおかしくないと言われて戻ってきたのに、無くなるまで2年診ました。」
「『死んでも病院に行きたくない』という80代の男性が肺炎になったことがあります。酸素と抗生物質を与える治療法は病院でも在宅でも同じです。違いは、看護師がそばにいるかどうか。たぶんこの方は病院に行けば、夜中に騒ぐ。そうすると縛られて、食事はチューブになり、寝たきりになってしまうだろう、と思いました。認知症も進むかもしれません。病院に行けば、肺炎を治しやすいかもしれないけれど、この人らしくなくなってしまう。訪問看護師や家族などと話し合い、自宅で治療しました。在宅診療は、患者さんの『生きざま』を認め、それを支える医療なのです」
「言い忘れましたが、在宅医療の主役は訪問看護師です。医師は病態を判断し、指示し、責任を取る。医師は病気を治すことを最優先にしますが、看護師は、治す、いたわる、癒すという、三つの支え方が得意です。様々な形で支える医療が生活の場では重要です」

—–在宅医療は、増え続ける医療費を減らし、安上がりにするためだ、と言う人もいます。
「患者の生きざまを支える在宅医療は無駄な医療をしないので、結果的にコストは下がる。末期のがん患者に高額な化学療法をしなければ、安上がりになります。でも、コストの問題はあくまで結果です」
「在宅医療は、入院の受け皿ではなく、外来の延長線上にあります。外来に来られなくなったから在宅で診療をする、ということです。病院は行って帰ってくるところ。行ったままにならないことが大切です」
「医学が進んでも病院がすべてを解決することはできません。高齢化が進むと、医療が逆に状況を複雑にすることも多い。骨折手術で入院して認知症や寝たきりになったり、肺炎で入院して胃ろうをつくられ、口から食べられなくなったり・・・」
「高齢者が入院すると、のみ込むと危険だと入れ歯を外されることがあります。退院するときに入れ歯が合わなくなると、食べられなくなってしまうのです。医療に支配された生活は不幸です。人はみな年をとる。足腰が弱ると、通院しにくくなります。病院はその虚弱な、要介護の高齢者が抱える心身の問題を解決する場所ではありません。虚弱な高齢者を支えるのは、生活の場や地域で行われる医療であり、介護です」
「人は必ず死にます。それを受け入れなくてはなりません。それが、いまの医療の課題です。最期をどう迎えたいのか、私たち一人ひとりが考えなくてはいけないと思います」

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