今時点における、私の生活の中での合唱は、毎月定例のひとつが、佐々木先生のご自宅にお邪魔して、分離唱を通した音楽の素晴らしさに魅入られた方々とハーモニーを楽しむこと。もう一つが、横浜にある山梨大学合唱団卒業生の自宅を主に使わせてもらい、少人数ながら男声合唱を楽しむこと。昨年の暮れに体調を崩すまでは、毎月2回、埼玉浦和近辺まで足を伸ばし、増田順平先生のご指導を受けて、埼玉大学合唱団のOB,OGおよび一橋大学の男声合唱OBの方たちと合唱を楽しんでいました。一時は歩くことは勿論、長く立っていることもできなくなり、大分回復はしたものの体力がめっきり落ちてしまい、こちらは現在休団させてもらっています。

振り返ってみると、最初の合唱らしい体験は、高校時代に、故石井信夫先生のご指導のもとで毎年秋に実施する文化祭に向けた臨時編成の男声メンバーでの男声合唱と、同じ市内の女子高校の女声メンバーと合流した混声合唱でした。男声合唱は、石川清作曲「いのち」(かけがえのない、このいのちを・・・)混声合唱は、信時潔作曲「子等を思う歌」(うりはめば、こどもおもほゆ、くりはめば、ましてしのばゆ・・・)高校は男子校だったので、女子校生と一緒に歌えることは、他の男子生徒らから羨ましがられたものでした。同高校時代には、同じく毎年行われるクラス対抗校内合唱コンクールに向けて、指揮を振らせてもらい、まったくの自己流で男声合唱に取り組んだことが、苦くもあり甘酸っぱい思い出として記憶の片隅に残っています。年間を通したクラブ活動としての合唱活動はなく、当時普通高校としては珍しかった管弦楽団に入り、チェロを弾いていました。

大学に入り、高校時代のクラブ活動の経験からオーケストラを望んでいたのですが、自前の楽器を持っていなかったため断念し、キャンパスで新入生勧誘に向けて演奏していた合唱団の響きに惹かれ入団しました。入学当時の合唱団は、常任の指導者を頼まず、学生たちで、自分達が真に求める合唱とは何かを求めて暗中模索の状態でした。年に一度の定期演奏会に向けた活動では、学内の教育学部の助教授を迎えて指導・指揮をお願いしていました。(続く)

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