合唱をやっていられる方には十分納得いただけることだと思いますが、その合唱団の演奏スタイルや、合唱音楽に対する考え方、等等様々な面が、その指導者によって違ってきます。山梨大学合唱団では、昭和37年から、同42年まで、当時富士吉田市民合唱団などの指導で実力を評価されていた大庭三郎氏を常任指揮者に迎え、全国合唱コンクールに出場するなど活発な演奏活動を行っていましたそうです。先輩達から聞いた話だけなので詳しくは知りませんが、全国合唱コンクールへ出場ともなると、経済的な大きな負担もままなりません。県大会、関東大会を突破して全高大会へと進むわけですが、合唱音楽の本質とは関係のない、諸々のことをこなしていくため費やすエネルギーは相当なものだと思います。目標を持って、その実現に向け努力することは尊いものに違いはありませんが、私は、合唱コンクールというものは合唱をする歓びとは違ったものに精力を費やし、その結果も音楽の本質とはかけ離れたものになるのだろうと思います。
 
 おそらく、大勢の団員がこうしたことに気づき、自分たちで、自分たちの合唱を追い求める気風が高まり、大場先生にはお引取りを願って、新規出発を決意したのだと思います。
 合唱団へ入部し、部室へ案内されたとき、その壁の高いところに貼られていた「力いっぱい合唱団!」とスローガンが書かれた紙が、過去の合唱コンクール全国大会出場を目指していた合唱団を思うと象徴的でもあり、自分が描いている合唱団のイメージと合わず、虚しく見えたことをはっきりと覚えています。当時とは基本的なコンセプトが変わってきているということも感じられたので、この合唱団で色々経験を積もうと決心しました。

ちなみに、私が在学中の合唱団の活動の一端を示すものとして、毎年一度実施された定期演奏会のプログラムを紐解いてみます。参考として、部室に残っていた入学前年のプログラムを倂記します。

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左が入学前年の定演プログラム  右が入学した年の定演プログラム(表紙のデザインは私の作品を採用してもらいました。「白」をベースにして、革新的なイメージを狙いました)

第25回定期演奏会 1968.12.7(土)県民会館大ホール
 第1ステージ 石丸寛編曲 黒人霊歌  5曲
 第2ステージ 岩谷時子作詞 中田喜直作曲 混声合唱とピアノのための組曲 「都 会」
 第3ステージ ミュージカル「ウェストサイド物語」より 4曲
         小熊秀雄原詩 岩田宏作詞 林 光作曲
         混声合唱とコンボ・バンドのためのラプソディー「ゴールドラッシュ」
 第4ステージ ブラームス作曲 ドイツレクィエムより 第4,5,6章

これらの曲を見ると、かなり意欲的な活動を展開していたんだなあ、と感心してしまいます。
プログラムをめくると、「合唱団のあゆみ」と称して、20年を超える歴史の概略を述べたり、25回を数える定演で取り組んだ主な曲の数々を記しています。

第26回定期演奏会 1969.11.29(土)県民会館大ホール
 第1ステージ 堀田善衛作詞 團伊玖磨作曲 混声合唱曲「岬の墓」
 第2ステージ 小林秀雄編曲  わらべうた 5曲
 第3ステージ F.メンデルスゾーン作曲 「三つのモテット」
 第4ステージ J.S.バッハ作曲 カンタータ第106番「神の時はいと良き時なり」

この年に、教育学部の中嶋恒雄先生を常任指揮者に迎えました。第4ステージは、先生のお力も受け、プロのソリスト3人およびプロの室内バロックオーケストラとともに格調高い演奏を体験することができました。
第1ステージは、4年生の学生指揮者Yさん、第2ステージは、3年生の学生指揮者Oさん、第3ステージは、4年生の学生指揮者Eさんが分担し、1年間の練習も常任指揮者には第4ステの分だけで、その他のステージおよび定演曲以外の曲などは学生指揮で歌いました。
(続く)

                    

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