前回は、<いろはうた>に関する私の感想などを記しました。読んでくださった方のご意見を
いただければ、嬉しい限りです。私の解釈が間違っているよとか、なんでも結構です。

信時潔の数多くの作品の中で、私の知っている曲はほんのひと握りに過ぎません。
大曲「海道東征」すら、名前は何度も目にするのですが、まだ聴いたことがありません。
今度,是非聴いてみたいと思います。

今回は<いろはうた>と同時期に取り組んだ、他の曲について記してゆきたいと思います。

<深山には> 神楽歌庭燎
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OLYMPUS DIGITAL CAMERA 富士吉田の火祭スナップより

信時潔の作品の根底に流れる日本の伝統文化、題材として取り上げているその一つが「神楽歌」です。
神楽歌には、「庭燎(にわび)」「採物(とりもの)」「大前張(おおさいばり)」「小前張」「星歌」などがあり
「庭燎」は、宮中で神楽の時などに、庭で炊く篝火(かがりび)を言います。

 深山には霰降るらし外山なる
  正木の葛 色づきにけり

荘重な中に優雅さを持つ日本古謡の香りを持つ名曲の一つである—山本金雄
宮中行事のひとつ、何とも優雅な振る舞いが繰り広げられていたのでしょう。その行事に付随する
音楽、勿論近代西洋音楽ではなくて、雅楽が演奏されたのだと思います。
行事そのものは、私たち庶民には縁がないことですが、身分の違いを超えたすべての日本人の魂に共通
する伝統文化であるのかもしれません。
その趣を感じながら歌うことで、日本の伝統文化の一端でもうかがい知ることができるかも知れませんね。

<あかがり>神楽歌早歌
先ほどの、<深山には>の趣からガラリと変わって、子ども達が元気に遊ぶわらべうたです。

 あかがり踏むな後なる子
 我も目はあり先なる子

「あかがり」は、「赤狩り」ではなくて「皸(あかぎれ)」のことです。現代のように防寒ブーツなど無かった時代です。真冬でも、素足で駆け回っていた子供の足、踵に皸は当たり前だったのでしょう。前後して歩く子ども同士、後ろの子に踏まれたらたまりませんから、「あかがりふむなあとなるこ」。後ろの子からは、「ちゃんと目があるから大丈夫だよー」と返ってきます。この掛け合いを諧謔曲に仕上げています。
終わりに付けられた「ふーむなよー」の旋律どこかで聞いたことがありませんか?
童謡「あの町この町」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)の中、「日が暮れる」が連想されますね。
どちらの曲もだいたい同じ時期につくられていて、お互いに影響し合っているところがあるのかもしれませんが、発表年は「あかがり」のほうが、ほぼ2年早いので、影響を受けたとすれば「あの町この町」の方でしょう。いずれの曲のフレーズも、どことなく悲哀感が漂いませんか。

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