信時潔の作品について書いてきましたが、私がこれまで経験した合唱曲の最終回になります。

<春の弥生> 日本古謡 慈鎮和尚 ト長調 4/4拍子 Andante テンポ92
<大島節>  伊豆大島民謡    2/4拍子 Langsam おそく

<春の弥生>

これまで書いてきた信時潔の作品の中では、<いろはうた>に次いで私の好きな曲です。

 春の弥生の曙に
  四方の山辺を見渡せば
 花ざかりかも白雲の 
  かからぬ峰こそなかりけれ

Auftaktの歌い出しは、第5音(D)から始まり第3音(H)へ降りるという、おおらかな気分を表現している、私の好むパターンです。私の母校の校歌も調は違いますが同じAuftaktで第5音(G)から第3音(E)へ降りる形なので、私の好みも先天的なものではなくて、この辺で形作られてきたのかもしれません。
歌曲ではありませんが、Mozartのクラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 の冒頭も、第5音(E)から、第3音(Cis)へ、続いて第2音(H)、主音(A)へと降りていくパターンは「春の弥生」と同じです。西洋音楽を学んだ信時潔の頭の中に、Mozartのこのメロディーが印象強く刻まれていたのかもしれません。ただ、こちらはAuftaktではありませんが。
Mozartの時代に遡るまでもなく、肝心なものを忘れていました。「海ゆかば」です。国立国会図書館所蔵のデジタルライブラリーを検索すると、原曲はハ長調のようです。やはりこの曲もAuftaktで、歌い出しは第5音(G)から第3音(E)に降りて第2音(D)につながります。

「春の弥生」は、山本金雄氏の言を借りますが、「日本的みやびやかさの溢れた美しい合唱曲」「作曲技法もすっきりと、明瞭な手法を用い、混声の四部が綾なす美しい織物を見るような優雅さがあふれて」「のんびりした春の桜の花盛りをうたった今様の言葉」とあるように、日本の自然の美しさの中に育ってきた日本人の心が余すところなく表現されていると思います。
桜が咲く季節には、自宅周辺の小高い山並みを眺めると、それまで褐色だった山肌を染めるように、まさに「白雲のかかる」がごとく桜の花が「あかり」を灯してくれます。おもわず「春の弥生」を口ずさみたくなりなす。

<大島節>
これまでの日本古謡とはガラリと趣が変わった、伊豆大島の民謡です。

 ハアーアーわたしゃ大島
  御神火育ちよ
 胸に煙はなー 絶えはせぬよ
  ア ハイハイトー

 つつじ椿は御山を照らす
  殿のお船は灘照らす

島の民謡と聞くと、陰と陽とありますが、陽の方では私は咄嗟に漁師の仕事に密接なつながりのある掛け声から生まれてきたものという連想が働いてしまいますが、楽譜に添えられた解説によると、この民謡は、茶もみ作業歌「野増節」が元唄と言われているそうです。
「御神火」:大島三原山の噴火する煙を神聖化したもの

粗忽者の私が誤解した「漁師」が主人公ではなく、出だしの「アーーー」がソプラノから始まるのは、茶もみ乙女が主人公ですから納得です。「胸に煙が絶えない」のは、郷土の神様への深い信仰心が根付いていると解釈するのが一番妥当かもしれませんが、別な見方をすれば郷土の慣習へ寄せる情熱とも取れるし、脱線し過ぎかもしれませんが、御神火に守られた若い男女間の情愛を指すものかもしれません。オーソドックスな解釈で歌うのも結構ですが、発展的な解釈をして歌うのもまた格別かもしれません。

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