佐々木先生のご指導を受ける前の山梨大学合唱団が経験した、もうひとつ大きなイベントがありました。
山梨県教育委員会主催によるベートーベン第9交響曲演奏会への出演です。1972年12月3日山梨県民会館大ホールにおいて、演奏者は
 指揮石丸寛
 ソプラノ林ひろみ     
 アルト金森静子
 テナー黄 耀明
 バス平野忠彦 
 東京交響楽団
 山梨県民合唱団 の顔ぶれです。
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 山梨県民合唱団とは、県内の合唱団体、一般の合唱愛好者から成る臨時編成の合唱団です。プログラムに印刷されたメンバーを見ると、ソプラノ79人、アルト100人、テナー40人、バス55人、総勢274人の大合唱です。このうち71人が山梨大学合唱団のメンバー若しくはOB,OGです。4人に一人以上の割合で入っています。この県民合唱団は第9公演に向けて、この年4月に結成されました。プログラム冒頭に印刷された田辺国男知事の言葉に、「県内の合唱指導者の方々と話し合ったとき、『コーラスをしている者にとって、第9に出られることが夢です。山梨でぜひ一度公演できるように応援してください。』と切なる訴えを聞きました。」とあります。毎年恒例行事のように演奏され、TVやFMでも流される第9の演奏を聞いて、合唱をする人の多くが、「自分も一度あのステージに載って歌ってみたい」と思うことでしょう。私もその一人でした。
 ところが実際経験して見ての私の意見ですが、合唱する楽しみを感じるどころか、歌いにくい広い音域を要求され、苦痛に近いものすら感じる始末でした。ベートーベンは自分の音楽を表現するために、人の声も楽器の一種として使っているのではないか、というのが率直な印象でした。「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン ・・・」と、ffでオーケストラと一体となって会場に響き渡る陶酔感を味わうという考え方もあるかもしれませんが、自己陶酔するのはお金を払って聴きに来ているお客さんに対して失礼なことだと思います。
 一度経験する意味はあると思いますが、二度と経験するものではない、というのが私の持論です。シラーによる「苦悩を超えて、歓喜へ」の主題は崇高なものです。私もそうですが、プロの演奏家による演奏を聴いて感動を受けるものであって、メロディーを口ずさむのは良いのですが、アマチュアの合唱人がステージに乗って歌って楽しむ音楽とは違う気がします。少なくとも私が求めている合唱とは違うものだなという感じがします。県知事として、県民の願いを聞き入れるのは、大切なことに違いありませんから、イベントとしての意味は決して間違ったものではないと思います。

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