このブログのタイトルに入れた分離唱から脱線していました。
分離唱という故佐々木基之先生が編み出されたメソッドによって和音感覚を会得したメンバーによる合唱の響きは、えも言われぬ美しく澄み切った響きで、これこそ純正調ハーモニーと言えるものだと思います。私も佐々木先生のご指導を受ける前までは、三部、四部合唱ではパート練習をやって、それぞれの音を習得してから合わせて歌うのが当たり前だと思っていました。その結果は、運が良ければハーモニーらしく聞こえることはあっても、大体はそれぞれ三つ、ないしは四つの旋律が独立していて、それが混ざって聞こえてくるというもので、これが合唱の響きだと思っていました。

ところが、分離唱をやって和音感覚が身に付いたあとは、各パートの音が一緒に聞こえるのではなく、全くあらたな、まろやかな響きが湧いてくるのです。適切な形容詞が見つかりませんが、このまろやかな響きの中に溶け込んで歌う快感こそ、私はまさに合唱の醍醐味ではないかと思っています。世の中には、いろいろな人がいろいろな合唱をやっていますが、それはそれで楽しめれば良いと思いますが、このまろやかな響きを経験したことがない人には、是非一度味わってほしいと思います。

分離唱のレッスンを受けたことがある人はご存知かと思いますが、方法はいたって簡単です。簡単だけれども、形だけ真似ても美しいハーモニーは産まれません。ピアノで和音を叩き、その余韻の響きをひたすら聴いて、その中に自分の声を溶け込ませることが肝心なところです。ひたすら聴く、ということは極端に言えば自我を捨てて、無心になることが必要だと思います。その時に理屈を考えることは邪魔にこそなれ、役には立ちません。CEG(ツェーエーゲー)の和音を聴いて、その中のE(エー)の音を出します。全員の声がピアノの和音に溶け込んで来れば、メンバーが10人でも50人でも澄み切ったE(エー)の響きになります。これが基本にですから、ハーモニーとなった時も、とても澄み切った美しいハーモニーとなるわけです。聴いていても心が澄んでくる気がしますし、一緒にハーモニーを歌う歓びもひとしおです。

音楽は心の表現ですから、その心を汲み取って、全員が同じ心を感じながら演奏することがハーモニーを創る上で必要条件です。形だけ真似て、心が別々のところにあったら、決して良いハーモニーは産まれません。「自我を捨て、無心になって」というのはそのことを言います。
合唱に限らず、仕事でも何でも複数の人間が共同作業をする時には、自我にとらわれず、周りの人達の心を聴くことが大切なことで、そこにこそ快感が得られることを学びました。

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