明治の後半から、大正、昭和にかけて日本の音楽史上多大な貢献をした作曲家ですが、東京音楽学校に一年先に入学した山田耕筰ほど多くの日本人にその名が知られていません。「赤とんぼ」「あわて床屋」「待ちぼうけ」「かやの木山」その他枚挙に暇がありませんが多くの日本人、大人から子供までに親しまれた数多くの歌曲を作曲した山田耕筰に対して、信時潔の作品は戦時中「第二の国歌」とまで評された「海ゆかば」ほど、多くの日本人に知られたものが数少ないせいでしょうか。
日本放送協会の委嘱により作曲され、昭和12年10月に初放送された「海ゆかば」については様々な評が出されています。大本営発表のラジオニュースに、この曲が流されたそうですが、戦争で尊い命を失っていく暗く悲しい出来事と、この曲のイメージが重なって、多分、多くの国民の脳裏に焼き付いたのでしょう。作曲者信時潔の名前が、戦後の多くの日本人に正しく評価されなかった所以ではなかったのかという気がしてなりません。
昨月7月18日、東京上野の東京芸術大学構内の某教室を会場にして開かれた洋楽文化史研究会第82回例会で信時潔文庫整理の経過報告が行われました。ビジターとして聴講を許され、信時潔の三男の娘である信時裕子さんから直接お話を伺える機会を得ました。発表後の質疑応答の時間に、「もっと広く国民に知られて然るべき作曲家だと思うのに、そうでない現実を残念に思っている。戦後の言論統制か何かで封印されていたということもその理由かもしれないが、現在信時潔をもっと広く知ってもらう活動があったら教えて欲しい」という質問をしたところ、信時裕子さんから回答を頂きました。彼女の認識では、山田耕筰ほど知られていないということはないとのこと。また、「私は『封印』という言葉は好きではない」と言っておられました。これは、文字どうりの解釈ではなく、肉親それも敬愛してやまない祖父に向けられた当時の社会の非情な仕打ちに対する憎しみや、憤りといったものが少なからずも彼女の胸の中にあるということを物語っているように感じられました。
作曲者本人のこの曲に対する思いは果たしてどうだったのだろうか知りたかったところ、信時裕子さんがまとめられた信時潔音楽随想集「バッハに非ず」(2012年、㈱アルテスパブリッシング刊)に、それを見つけたので紹介させて下さい。

同人雑誌『心』昭和32年9月号に寄せられた「問われるままに」から、抜粋します。初放送から30年経過後の言葉です。
(前略)例の「海ゆかば」の作曲のことですが、あれは放送局に頼まれたのでした。国民精神総動員とかいうわけで、先例を破って平沼首相でしたか、枢相でしたか、ともかくおえら方が揃って初めて放送することになりました。その前に聴取者の気分を整えるために何か歌がほしい、国歌では重々しすぎるというので、頼まれて作曲したのがあれでした。初めは小学校生徒が歌ったのでしたが、時勢と結びついたわけでした。あの譜があんなに広まったのは、どっかの薬屋さん(注1)の楽譜出版サービスの力が大きいです。尾上柴舟さんが譜の表紙に歌詞を書かれまして、全国へただで配ったのが広まる動機になったのです。(以下略)
注1:わかもと本舗栄養と育児の会が、初放送の翌月、唱歌として楽譜を発行、無料で全国の学校に配った。

これを読むと、決して信時潔が戦時中、決死の覚悟で戦地に向かう人々に向けて戦意を高揚させようなどと自発的に作曲したものではないということが分かります。委嘱した放送局若しくは政府には、その意図があったことは否めませんが。

更にその30年後の記事です。1962年12月3日号の『週刊新潮』に掲載された「私の言葉」(インタビュー記事)より抜粋
 あの当時のことに関する私の気持ちは複雑でね、デリケートなものもありますし、ここで簡単に口でしゃべるわけにはいきません。ただ、あの『海ゆかば』が、今も人々に歌われるとすれば、それはあの当時の戦死者とか靖国神社とか、そういったなまなましいイメージをからませて歌われないと思う。少なくともそうあってはならないんです。もしああいう歌が次の世代にも歌われるとすれば、作られた当時の広い意味での、実用価値を超えた芸術的価値ですね。フランス国歌をごらんなさい。フランス革命の、そりゃ戦闘的な歌ですが、そういうものを離れてフランスの国歌になっているでしょう。皆に長く歌われる歌とはそういうものです。

信時潔に作曲を習った作曲家大中恩氏の従兄弟にあたる作家であり詩人の阪田寛夫氏の短編小説『海道東征』は、作者が信時潔との思い出や、次男の次郎氏から聞いた話を綴ったものですが、その中の一節。
「時勢の成り行きで、立場上、国民的作曲家になってしまった点だ。早くから、『東京音楽学校作曲』の名義で御大喪奉悼歌とか、御即位式の歌、御製など、あらたまったものを作るのが東京音楽学校の教官の役目だった。『おれは運命に流されたようなものだな。』と次郎さんに述懐したことがあった。」

言論が厳しく統制されているどこかの国と違い、言論の自由が保証されているとはいえ、過ぎた時代に活躍した人が無責任な評論家気取りの記事によって傷つけられているということにもっと想いを致したいと思うこの頃です。

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