山田耕筰の作品の中でも、私が最も好きなのが「からたちの花」です。私がこの曲の魅力に魅かれたきっかけは、大学時代に日本合唱協会第54回定期演奏会「増田順平編曲による子どもの歌の夕べ」(1985年10月8日東京こまばエミナース)に於いて、混声合唱に編曲された響きを聴いた時でした。第一ステージの冒頭で、この曲が演奏され、曲の出だしアルトとテナーのC音のハミングに導かれ、ソプラノが柔らかい音色で「からたちの花が咲いたよー」と旋律を唄い出した時、なぜかゾクゾクっとした興奮を覚えました。山田耕筰の原曲の素晴らしさもさることながら、増田順平先生の見事な編曲が、原曲に込められた感動を如実に表現しているのに舌を巻きました。
この晩のコンサートの第一ステージでは山田耕筰作品集より「からたちの花」「あわて床屋」「燕」「かえろかえろと」「風鈴」「すかんぽの咲くころ」「電話」「青蛙」「ペイチカ」「夕焼雲」「洗濯媼さん」「この道」「待ちぼうけ」の13曲が演奏されました。
しばらくこの興奮が冷めませんでしたが、同時に山田耕筰の作品の魅力にあらためて感じ入った次第です。
山田耕筰は1歳年上の北原白秋とは雑誌「詩と音楽」を創刊するなど深い親交があったそうです。山田耕筰の「童謡100曲集」には、北原白秋をはじめ、野口雨情、三木露風、川路柳虹、西条八十の5人の詩人が顔を並べていますが、100曲中の32曲が白秋の詩によるものということでも、親交の深さを物語っていると思います。普通、作曲家が作品を作るときは詩集などから曲想が浮かんだものを作品にするパターンが多いようですが、「からたちの花」の場合は違います。東京市本郷(現在の文京区)の医師でキリスト教伝道者の父のもとに生まれた耕筰は、10歳でこの父を亡くし、父の遺言で巣鴨にあった自営館(現在の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、その印刷所で働きながら13歳まで施設の世話になり夜学に通ったそうです。耕筰は自伝に於いて、工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いたと述懐しています。後に親交の深まった白秋に、この思い出を語ったのでしょう、白秋がこの思いを詩にして、耕筰が曲を付けたというのがこの曲の生まれたいきさつのようです。

からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ

からたちのとげはいたいよ
青い青い針のとげだよ

からたちは畑の垣根よ
いつもいつもとほる道だよ

からたちも秋はみのるよ
まろいまろい金のたまだよ

からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかったよ

からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ

白秋は、5-3-4-3-3-3-4という音節の繰返しの中で想いを語っていき
さまざまな想いが交錯するさまを、6連の詩に表現する見事な詩にまとめています。

耕筰は、持ち前の瑞々しい感覚で、この詩を4分の3拍子、4分の2拍子を使い分け
音楽を創っています。注目すべきことは、同じ数の音節の繰返しでも、それぞれの言葉
に込められた詩想に合わせて抑揚を変えていることです。
4番目と5番目に3音節の形容詞の繰返しがありますが、
「からたちのそばでないたよ」に続く「みんなみんな」は、他と異なり、上昇音型で
気持ちの昂ぶりを唄っています。思わず泣けてしまう所ですね。

増田順平先生は、「からたちの花」のタイトルで、山田耕筰の作品を20曲ほどアルバムに
まとめられていますが、先生に直接伺ったところ、「からたちの花」が一番のお気に入り
だそうです。その次は「あわて床屋」だそうです。
私も「からたちの花」が一番のお気に入りです。他にも優劣つけがたいのですが、「夕焼雲」
とか、「風鈴」「赤とんぼ」など、抒情的な歌が気に入っています。

Follow me!