以前の投稿で書いたように、私の転職歴は全く不本意なものなので、人に話せるようなものではありませんが、一つの経験談として爪楊枝にでもなることもあるかと書き綴ることにしました。

初めての転職は、1990年頃の不景気で世の中全体にリストラの嵐が吹き荒れていた時代です。
例にもれずそれまで21年間勤めてきた会社も、人減らしを始めました。2万人の社員を1万3千人に減らすという大手術です。私が入社した頃はいわゆる高度成長時代で、同期で採用された人数もピークに近いものだったのでしょう。手始めに希望退職を募ったのですが予定数に達せず、次に所謂「肩たたき」が始まったのでした。高密度半導体集積回路(VLSI)の製造技術開発という最先端技術を扱う職場の課長職に就いて、自分のところには来ないだろうとタカをくくっていたのですがさにあらず、会社全体で一律に減らす人数を割り当てたのでしょう。直属の部長から個室に呼ばれ、「貴方はこの先、この会社で上級管理職に進むのは難しい。思い切って、よその会社で活躍してもらいたいのだが」という旨の話をされました。

自分でも薄々将来性がなさそうだと感じていたこともあり、転職しても何とかなるさと、甘い考えで退職勧誘を受けるという決断をしました。同じ大学出身の先輩からの話でも、希望退職で提示された条件を計算すると、このまま会社に留まるよりも良いらしいと聞いていたことも後押しする要因でした。

転職先は、それまで勤めていた会社から紹介された、ある半導体製造装置メーカーで、元の会社の退職条件がランクアップする45歳までは退職ではなく出向という形をとり、出向期間中は給与も、もとの会社での水準を保証するといった色々温情的な待遇があり、リストラされたことには違いないのですが、そう深刻になるような印象はありませんでした。
もともと自発的な転職ではなかったので、その当時は、転職はこれ一度限りで、私の人生の中で職業生活の中間折り返し点に当たるものとなり、定年を迎えるまで、新しい会社に定着するつもりでいました。

機械設計と電気設計の二つのグループで製造装置を設計する設計部に配属され、二つのグループを統括する部長の下で機械設計グループをまとめる次長のポジションに就くことになり、かなりやりがいが有りそうだなと感じたのですが、この後いろいろな壁と戦うことになるとは転職した時点では予想できませんでした。

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