P1020253昨年亡くなった妹の悠子さんが愛用したスタインウェイのグランドピアノ。館野さんが脳溢血で倒れた後、妹さんから送られた。日本の自宅の居間に置き、大切に弾いているそうです。

小学館発行の雑誌「サライ」2015年11月号に掲載された、今年78歳になられたピアニスト館野泉さんのインタビュー記事に感銘しました。皆さんご存知のように、彼は27歳の時にフィンランドに移住し音楽活動を展開します。現地で7歳年下の声楽科と結婚し、1男1女の「宝物」を得ています。ところが、13年前65歳を過ぎたころに脳溢血で倒れ、右半身のマヒが残るという、ピアニストにとってはとんでもなく辛い試練に見舞われたのです。

「サライ」の記事を読んで驚きました。右半身マヒという、ピアニストにとっては致命傷とも思える災難に遭って、私などは落胆してとんでもないことを仕出かすかもしれないのですが、彼は違ったのです。『自分にとって何もできない時期だったけれど、不思議とね、家が明るかった。今でも家内のマリアが云うんです。”あの時ほど、家に笑いが絶えなかったことはなかったわね”』『右半身がだめですからね、転んだり、ものを取り落とすなどはしょっちゅう。それを家内に面白おかしく話したりして。リハビリ自体も大変ではあるけれど、それも人生初体験。それに、

    毎日、何かができるようになるから、それが純粋に嬉しくて

。だから日々、楽しかった。悲壮感はまったくありませんでした』
なんとも恐ろしいまでの強靭な精神力の持ち主でしょう。私の想像ですが、彼自身の中には、当然悲壮感があったことは間違いないと思います。でも、それを表に出したら、家族みんなが暗くなって、不幸な結末を呼ぶことに繋がることを知っていて、努めて明るく振舞ったことでしょう。
脳溢血で倒れ、右半身マヒというどん底を味わった強さは、それに続く「毎日、なにかができるようになるから、それが純粋に嬉しくて」という、前向きなもののとらえ方となって昇華したものと考えられると思います。

この記事のタイトルに、
「左手の音楽を開拓する”奇跡”の奏者『病気や怪我でたとえ何かを失ったとしても、積み重ねた経験はけっして忘れません』」とありました。二日続けて日本人がノーベル賞を受賞したという嬉しいニュースに沸いたところですが、ここにも「ものすごい日本人」がいるんだと思い知らされました。

Follow me!