佐々木基之先生の編み出された分離唱というメソッドによって耳が開かれた人たちから生まれ出るハーモニーの素晴らしさの虜となって久しい年月が経ちました。お陰様で、「分離唱」という言葉が全国に広まって、WEBで検索しても沢山の投稿記事がヒットするようです。
先日は、ある山梨大学の後輩から、大学入試の際に複数の候補の中から山梨大学に決めた理由として、佐々木先生が書かれた「耳をひらく」を読んで、佐々木先生に会えるからという理由で決めたといううれしい話を聞きました。

佐々木先生から継続的なご指導を受けてから2年目の定期演奏会のチラシに印刷された、合唱団顧問および合唱団理事の挨拶文にも「分離唱」を取り入れた合唱を語るのに、「ピアノに頼る」から「耳に頼る」への転換というようなことが書かれています。勿論、これはこれで正しいのですが、初めて「分離唱」に出会った人には、どういうことかさっぱりわからないという人が多いのではないかと思います。

私の拙い経験から説明を捕捉させていただきたいと思います。
先ず、「分離唱」を体験するときに、ピアノは絶対必要です。分離唱を通して作るハーモニーの目指すところは純正なハーモニーですから、平均律で調律した(純正ハーモニーから外れた)ピアノでは良くないという声をよく聞きます。でも、ピアノでCEG(ハ調長三和音)を叩いて鳴る音が濁っていて汚いと感じられる人は殆どいないでしょう。耳をひらくための訓練には平均律のピアノで支障はないのです。勿論、CEGをアルペジオ(分散和音)で弾かずに、同時に同じ強さで弾くことがポイントです。ピアノが平均律で調律されているために、純正和音との誤差があるせいなのか詳しくはわかりませんが、打鍵した瞬間の音は確かに「ビャン」と響きますが、最初の音は無視して、余韻をよく聴いてください。このとき、ペダルを踏むと音は濁りますからペダルは決して踏まないこと。振動について勉強した方はご存知のように協和音は共鳴という現象を起こし、そのエネルギーは強いもので、協和音は、段々弱くなるとはいえ空間に長く尾を引きます。このハーモニーを耳を澄ませて聴き、自分の声をその中に溶け込ませようとしているうちに、「ポワーン」とした心地よい状態が見つかります。
こうなればしめたものです。この状態になれば、例えば三人でそれぞれC,E,Gを唄うととても気持ちの良いハーモニーが生まれます。
こうなったら、ピアノは外して、三人の声だけでCEGを発声して良く聴きあうことで美しいハーモニーが生まれます。人間の声はピアノのような機械ではありませんから、平均律のように純正和音からわずかにずらすような芸当は出来ません。ピアノで叩いた和音の余韻に自分の声を溶け込ませるような神経で聴きあえば純正和音に落ち着くしかないことがわかると思います。
電子楽器の場合には、先に書いたわずかなずれが、そのまま、いつまでも継続されるので、ちょっと扱いにくいです。

耳をひらくということは、こうしたことを発展させ、様々な和音の進行に順応する感覚、即ちハーモニー感覚が身に付くことだと私は理解しています。無伴奏で歌っても、調性がしっかりと感じ取れていれば和音の中の一つの音、つまり和音を構成する音の一つを歌っていると音程がずれていくことも少なくなるようです。試しにピアノの前で、好きな曲を歌って見ます。頭の中で和音の進行を感じながら歌った場合と、そうでない場合を比べると、歌い終わってから最後の音をピアノで弾いてみると違いがわかると思います。

ここまでで、澄み切った美しいハーモニーに触れることは出来るのですが、佐々木先生が教え導いてくださった音楽はこればかりではありません。先生の著作「耳をひらく」の初版はサブタイトルに「人間作りの音楽教育」とありますが、第二編(?)は「耳をひらいて心まで」となっています。耳をひらいて合唱する人々が、心をひらいて人間本来の持つ優しさを取り戻してお互いがふれあえるすばらしい世界を説いて下さったのだと信じています。

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