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日本の航空機業界にあって、MRJの初飛行成功は歴史的な出来事に違いありません。
少年時代に、大空を駆け巡るジェット機の美しい姿に心を奪われ、ジェットパイロットへの憧れに胸を膨らませていた私も、大きな感動と、これから世界の空を大きく羽ばたくことになるだろう日本の航空機の雄姿に大きな期待を寄せてテレビの画面に釘付けになりました。

もともと日本の技術力をもってすれば、国産の飛行機を作ることはもっと早く実現していたことは疑いありません。太平洋戦争時に欧米各国に恐れられた「零戦」を飛ばせた技術を見れば、それは明らかです。然しながら、敗戦という事実により、日本の航空機産業は暫く封印されてしまうことになりました。
昭和27年、ようやくその封印が解かれ、官民一体となって国産旅客機の開発がスタートし、昭和37年月30日YS-11の試作1号機が初飛行に成功しました。このYS-11の開発に貢献し、科学技術庁から科学技術功労者として表彰を受けた技術者15人の中に、零戦を開発した堀越二郎氏(当時新三菱重工本社技術部長)も入っています。

官民一体となっての開発、いわば日本の総力を挙げて産み出したYS-11も、詳しいいきさつはわかりませんが「船頭多くして」の言葉が適切かどうかの疑問はあるとしても、赤字を積み重ねる結果となり、競合する世界の航空機メーカーに太刀打ちできずに10年そこそこで製造を打ち切ることになったそうです。

こうした経緯を踏まえながら、2008年4月に、三菱重工がMRJの事業を進めるために新会社「三菱航空機」を立ち上げ、再び国産旅客機の開発をスタートさせました。
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写真の中の開発年表に見られるように、この開発には様々な困難があったようです。当初2012年に計画していた初飛行は度々の延期を余儀なくされ、今年2015年に入ってからも、部品調達の遅れなどから2度も延期された挙句に、ようやく11月11日に初飛行の成功を成し遂げたのです。直接開発に携わった人々は勿論のことですが、間接的にも国産旅客機の開発経緯を見てきた人々の初飛行成功の感激は並大抵のものではないと察せられます。
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純国産であれば、また新たな感激もあるのですが、数万点に及ぶ部品をまとめ上げて完成させるわけですから、個々の部品単体の性能から、全体の性能調和、開発期間、コストなどあらゆる問題を総合して設計すると、純国産にこだわっていては木を見て森を見ずになってしまいかねます。エンジンはアメリカのプラット&ホイットニー社製を採用したそうです。

燃費は、従来機と比較して2割向上したそうで、そのためになお一層の機体の軽量化、空気抵抗の低減も推進していて、そこに大きく関係する主翼の開発製造を担当した日本国内のある会社の社員もテレビで紹介されていました。

幅広い産業界の努力の結晶として航空機は生まれて来るのだということをあらためて実感します。
これからの日本の産業をより健全なものとしていくためにも、日本人の持つ優れた点を、個々のみならず、全体を調和させて、日本国内のみならず世界の安定、調和に貢献していけるような社会を望みたいという気持ちを新たにしました。

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