複数の声が、お互いに「溶け合って」美しいハーモニーを創り出すのに、なぜ「分離」唱と呼ぶのだろうかと、久しく疑問に思っていましたが、ある日ふと「あっ、そうか!そういうことなのか」と閃きました。
倍音を沢山含んだ響きはとても豊かな、そして潤いの感じられる響きだと思います。私達一人ひとりの声は、個人差や訓練の仕方によって幅はあると思いますが、残念ながら豊かな響きとはなり得ません。ところが、佐々木基之先生が編み出された分離唱というメソッドを用いてハーモニー感覚を会得した耳をもって三声、四声を唄うと、美しく澄み切って、かつ豊かな響きが産まれてきます。ハーモニー感覚を会得した耳で唄うということは、一人ひとりの声自体は単音に過ぎませんが、頭の中では豊かな響きのハーモニーをイメージして、そのハーモニーの中に含まれる一つの構成音を「分離」して唄っており、それぞれのパートを唄っている人も皆、同じハーモニーをイメージしながら唄っているので、結果として各パートの声が一つとなって美しく澄み切った豊かな響きが産まれて来るのでしょう。
「分離」というと、なんだかバラバラにするようなイメージが思い起こされますが、バラバラにする分離ではなくて、有機的に総合されたものから、総合された形を保ったまま、それぞれの成分を分離して発声することによって、総合された響きは、美しく、ときには輝きをもって私たちの周りの空間に漂ってくるのだと思います。
こう考えると、「合唱」の「合(わせる)」という文字は、なんだかハーモニーのこころを知らない学者が便宜的に付けた言葉のような気がしてきます。パート練習をして、それから「合わせる」合唱をしていた頃は、何の疑問もなかったのですが、今思うと、なんか違和感を感じます。

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