小惑星探査機「はやぶさ」が、2003年に打ち上げられ、地球からの距離3億kmにある小惑星「イトカワ」から岩石サンプルを持ち帰る、延々60億kmの宇宙の旅に成功したという話は、ほとんどの日本人が知っていると思います。打ち上げから2年後の2005年に「イトカワ」に到着し、2007年に地球に帰還するのが当初の計画でしたが、通信途絶、エンジン故障という絶望的なアクシデントにより、当初計画を3年延期した2010年に地球に帰還しました。

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2010年6月13日大気圏突入を果たした「はやぶさ」(「はやぶさの大冒険」山根一真著より)

今回の講演会で、お話を聞かせてくださった的川先生は、「はやぶさ」打ち上げ当時、内之浦宇宙センターの所長をしておられ、宇宙科学研究所教授でもあり、日本の宇宙科学の広報マンでもありテレビなどにも多数出演されています。幅広い年齢層を対象に、宇宙をわかりやすく書いた著書は60冊を超えるそうです。テレビや講演会で広報活動を重ねてこられたこともあってか、実にわかりやすく、冗談を交えて、話の道筋も見事に整理されたお話で、1時間半があっという間に過ぎてしまいました。

「はやぶさ」が帰還した2010年に、ノンフィクション作家として良く知られた山根一真氏が書かれた「はやぶさの大冒険」を、読まれた方も沢山いらっしゃると思います。
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皆さんよくご存じのように、山根氏は、サイエンティフィック・ライターとも呼べる、最新の科学技術について豊富な知識を駆使し、念入りな取材で集めた詳しい情報をもとに、わかりやすく書いてくれる作家ですが、今回の的川先生のお話は、また違った面で興味深いエピソードを数々取り入れてくれました。もうすでに、ご存知の内容と重なるところもあるかと思います。

その一 通信途絶の事態への対応   果てしない宇宙空間を航行中の「はやぶさ」との通信が途絶えてしまえば、私のような素人は、もう絶望して諦めるしか道はないと思うのですが、流石に宇宙技術者です。追跡出来ていた最後のデータから、計算で現在位置を推定することが出来るのですね。流石といってしまえばそれまでですが、その先の涙ぐましい努力に感心してしまいました。交信を試みるのですが、地球から3億km離れたところまで電波が届くのに17分かかるのです。地球から発信した電波が、運よく「はやぶさ」に捉えられて返信されても、往復34分かかります。宇宙空間には、通信を意図した電波だけでなく、様々な電波が飛んでいます。その中から、目的とした電波を捉えるために、つきっきりで監視します。一人だとトイレにも行けないので2人ずつ、5時間交代。通信が途絶えた時、技術者の間から、こんな言葉が出たそうです。「(家を出たっきりの)息子から、何も言ってこなくなってしまったなあ」
それでも、ミッションを完遂させるべく執念に燃えた川口PM(プロジェクトマネージャー)を中心とするチームワークで見事に通信回復を果たしたのです。
ミッション達成の望みが断たれれば、文部科学省の予算も打ち切られてしまいます。予算確保も的川先生に課せられた重要な課題の一つで何度も足を運んだそうです。ここでも、興味深い裏話を紹介してくれました。予算継続を懇願する先生に、省の役人が質問したのが、「はやぶさ」のアンテナが、この1年以内にこちらを向く確率は?」的川先生は、川口PMに相談すると、すぐに専門技術者がお手の物の計算をし、「62%」という数字を出し、役人に回答しました。役人も「これだけ高い数字なら」と予算を許可したそうです。実は、アンテナの顔が地球の方を向く確率は31%だったのですが、アンテナの「軸」が、地球の方向へ向くのは、二通りあって合わせて62%なのです。31%という低い数字では予算を取るのが難しいと考え、頭を捻って62%という数字を回答したのだそうです。

その2 エンジン故障への対応   通信回復を果たし、地球帰還を目指す「はやぶさ」にとって、打ち上げから6年後、決定的に絶望的な状況、すなわち4基積んでいたイオンエンジンが4基とも壊れてしまいました。この時は、さすがの川口PMでさえ、記者会見で「今後も復旧の努力は続けますが、おそらくダメかと思います」と、初めて弱音を吐いたそうです。ところが、川口PMにも知らされていなかったのですが、エンジンを担当する国中技術者が、「4基のエンジンすべてダメになることがあるかもしれない」と、それぞれを組み合わせて働かせる回路を仕組んでいたのです。それぞれが担当する部分の設計についても、すべての情報をチームで共有するという原則に対して明らかにルール違反です。イオンエンジンの研究・開発に20年以上、自分の人生をかけてきた国中技術者にとっては、チームの合意を得られないかもしれない策であっても、譲れない秘策だったのかもしれません。この回路を使って、壊れた2基のエンジンAとBを組み合わせてエンジンとして働かせることに成功したのです。
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日本人は、はっきりした信仰を持たない人でも、ここぞというときに「神だのみ」を表に出すことがあるようです。
地上の「はやぶさ」飛行管制室の様子が紹介されましたが、制御コンソールの表面の空いたところに「飛行安全」というお札が貼ってありました。イオンエンジンは、イオンを加速し噴射する本体部分と、イオン生成の際に奪った電子によるマイナス電荷を中和させるための中和器とのセットで構成されます。エンジン故障の痛い経験から、中和器に寄せる期待感も強まったのでしょう。『「中和神社」ってないのかな』
と、岡山県にある「中和(ちゅうか)神社」を探し出し、川口PM自ら参詣し、お札を持ち帰って、管制室に祀ったそうです。

お話を進める中で、的川先生はスクリーンに大きく映し出した映像に、所々「メッセージ」を重ねて訴えられました。
「目標を共有している強さ」

そして、
「 伝えたい2つのこと 1.日本のものづくりの素晴らしさ
           2.適度の貧乏と、未来への高い志 」

「はやぶさ」の話から少し外れますが、的川先生のお話は、国際宇宙ステーション(ISS)まで及びました。
ここで、日本人の若田飛行士が船長として、米ソ両大国を含めた国際宇宙ステーションの中で、しっかりと国際的な「和」を作り上げでいることに触れました。「イスラム国」によって繰り広げられるテロに乗じて、米ソ両国があからさまに出している大国のエゴ、もう一つの大国中国もエゴを丸出しにして覇権を握ろうとしている現代社会に於いて、ISSが聖域になれるだろうか、ということを投げかけておられました。「聖域になれるだろうか」という命題は、とりもなおさず「聖域になってほしい(するべきではないか)」という、強い願望ではないだろうかと思います。これに関連して、「日本の位置」ということを話されました。
「出アフリカ図」として知られている古代人類の発生から、地球上の各大陸への展開を示した図を示されました。
ホモサピエンス出アフリカ図 - コピー
この流れが示すように、日本人は大陸から文化を受け入れてきた歴史が示すように、「受け入れる」ことに関して大きな力を発揮し、発展してきたが、これからの日本は、「大陸に向けて、大いに発信していくべきではないだろうか」と、投げかけてくれました。

的川先生は、お話の最後に、金子みすずの詩 「私と小鳥と鈴と」をスクリーンに映し出して、1時間半にわたるお話を締めくくられました。

「私と小鳥と鈴」
          金子みすず

私が両手を広げても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

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