今から20年以上も前のことですが、今のように長く景気が低迷する前には、各企業がこぞって永年勤続者に対して10年、20年といったけじめの年に、「リフレッシュ休暇」というご褒美をくれたことがありました。私は1993年3月で丁度勤続20年となり、5日間の休暇と5万円のお小遣いをいただきました。4月頃に会社から休暇の使い道について計画書の提出を求められたのですが、「リフレッシュ休暇」そのものがまだ目新しい福利厚生制度だったので、その時点では、具体的には何も考えていなかった私は、半分冗談のつもりで「ヨーロッパ旅行」と書いて提出しました。ところが、日が経つにつれ漠然と書いた「ヨーロッパ旅行」の計画が段々と具体性を帯びてきて、旅行代理店と打ち合わせを重ねるところまで進んでしまい、取り消すこともできなくなり、「冗談」ではなく、「実行プラン」が姿を現すことになりました。

学生の頃の私にとって、海外へ行くことなど夢のような話だったのですが、勤めていた会社が半導体事業に力を入れるようになり、当時は日本の一歩も二歩も先を行くアメリカをはじめとする先進国から技術を導入すべく、アメリカ出張が業務の一端となる時代になりました。それでも、個人で海外へ行くのはまだ夢のように感じていたのですが、一旦口に出すと、夢だと思っていたことが実現してゆくんだということを実感した最初の経験です。

漠然と「ヨーロッパ」としていたのですが、プランを練っているうちに、連れ合いと共通の趣味である音楽にかかわりの深いツアーにしよう、ということになりました。
旅行会社代理店から入手したパンフレットに、「ANA(全日空)ハローツアー10日間ウィーン・フリーステイ」というものを見つけました。これだと、往復の飛行機と現地の宿がセットになっているだけで、現地では自由行動が許されるのです。団体ツアーも、或る意味では便利ですが、出来合いの観光地巡りではせっかくのウィーン訪問も楽しみが半減してしまうと考えていたので、これに飛びつきました。

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10日間の旅ですが、行帰りに3日間取られるため、現地での自由行動は7日間に絞られます。この7日間で、出来るだけ本場の音楽に触れようと、準備を始めたのですが、インターネットが普及した現在と違って、現地のコンサートスケジュールに関する情報が思うように手に入らないのです。旅行会社の代理店の人が、音楽を趣味に持ち現地の音楽事情に詳しい人なら別だったのかもしれませんが、現地でチケットを手に入れるしかないと聞かされたときは、多少不安を感じましたが、「ええい、なんとかなるさ」と腹を決め、出発を待つことにしたのです。

日程を決めるにあたっては、コンサートを楽しむのに適した季節を考えて、時期によって変わる費用を低く抑えられるところをあたったところ、11月29日出発となりました。これならモーツァルトの命日である12月5日にちなんだ催しに出会えるかもしれないという淡い期待を抱いて成田を出発しました。

1993.11.29 成田からウィーンへ向かう

1993.1.30 ウィーン市内観光

1993.12.01 シュテファン大寺院見学と楽友協会大ホールコンサート

1993.12.02 連れ合いが風邪でダウン

1993.12.03 ウィーンの森散策 レクイエム/フォティーフ教会

1993.12.04 オプショナルツアー ザルツブルクを訪れる

1993.12.05 日曜ミサ 中央墓地へ

1993.12.05 国立オペラ座にてベートーヴェン歌劇「フィデリオ」鑑賞

1993.12.06 ウィーンの最終日 塔に登り、市場で買い物

1993.12.07 さらばウィーンよ 日本に戻る

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