オペラに詳しい人には、うっとおしい説明かもしれませんので、読み飛ばしてください。
「フィデリオ」作品72は、ベートーヴェンが完成させた唯一のオペラです。彼の作品の中でも特に難産に見舞われた作品の一つに当たるもので、「フィデリオ」としての初演は1814年ですが、原作者ジャン・ニコラス・ブイイの英雄主義的性格や、当時のヨーロッパの知識人層に浸透し始めていた自由主義思想へ対する強い共感を抱いていたベートーヴェンは、悪政によって無実の罪で捕らわれの身となった夫フロレスタンを救出するために男装して乗り込む妻レオノーレを描くストーリーに共感して、ブラウン男爵の依頼で作曲した「レオノーレ」第1稿が1805年に初演されています。当時はナポレオン軍がウィーンに迫り、ベートーヴェン自身の指揮による上演も、観客の殆どがドイツ語を理解できないフランス軍兵士であったこともあって大失敗に終わっています。翌年、「レオノーレ」第2稿として2幕のオペラに改定され、或る程度の成功を収めましたが、依頼主との金銭トラブルから初演以降の公演は続いていません。
1810年に「フィデリオ」の楽譜が出版されましたが、しばらく上演はされませんでしたが、「ウェリントンの勝利」などでベートーヴェンは人気を博すようになり、「フィデリオ」の上演が促されるようになり、1814年5月に初演が行われました。この時、ベートーヴェンは44歳、難聴が急速に進んでいた状況であり、他の人の手助けを借りながらも、自分自身で指揮をしたそうです。この版は大成功をおさめ、1814年中に何度も上演されています。
「フィデリオ」は、こうした経緯もあってか他のオペラには珍しく4曲の序曲が作られていますが、良く知られているのは序曲「フィデリオ」と、序曲「レオノーレ第3番」です。
私が高校生の部活動で所属していた管弦楽部で、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、同じく序曲「レオノーレ第3番」などに取り組みベートーヴェンの音楽に触れる機会が多かったせいか、彼の音楽に根差している英雄主義的、自自由主義的思想が紡ぎ出す音楽に、理屈があるわけでもありませんが、少なからず共感を覚えることがあるような気がします。選んだわけでもなく、たまたまウィーン旅行の日程の中で「フィデリオ」の公演にぶつかったことは図らずもラッキーでした。
1993.12.01 シュテファン大寺院見学と楽友協会大ホールコンサート
1993.12.03 ウィーンの森散策 レクイエム/フォティーフ教会
1993.12.04 オプショナルツアー ザルツブルクを訪れる
1993.12.05 国立オペラ座にてベートーヴェン歌劇「フィデリオ」鑑賞
1993.12.06 ウィーンの最終日 塔に登り、市場で買い物
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