このブログサイトのタイトル「菜の花畑」は、いわずもがな文部省唱歌として多くの人に親しまれている「朧月夜」の歌い出しです。私も、とても気に入っています。
na-no-hana-batake、アを母音とする「な」「はな」「はたけ」の単語が連なります。子音の付かない母音のみの「ア」の連続では、まったく趣が異なりますが、n,h,b,tと子音を伴った音節が組み合わせられた「菜の花畑」、柔らかな春の日差しに包まれた、ほのぼのとした情緒が感じられます。声に出して読みたい日本語ですね。cropped-nat074.jpg

朧月夜
作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一
一、菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

       二、里わの火影も 森の色も
          田中の小路を たどる人も
         蛙の鳴く音(ね)も 鐘の音(おと)も
          さながら霞める 朧月夜

この歌が発表されたのは1914(大正3)年6月18日に文部省から発行された『尋常小学唱歌』第6学年用への掲載された、いわゆる「文部省唱歌」としてが始まりです。
「文部省唱歌」とは、文部省が明治43年から昭和19年に刊行した教科書に掲載された、文部省が選定した曲をいうそうです。当時は、国が作ったことを強調するため、作詞・作曲者は明らかにされず、文部省も当事者に口外しないよう指導していたのだそうです。
昭和22年、文部省は新主旨にもとづく編集による音楽教科書を発行することになったのですが、この「新主旨」というのは占領軍の支配色に塗り込められているものだったことと想像されます。マッカーサー元帥の指令により、作者の名が公表されることになったそうです。
(参考:池田小百合「なっとく童謡・唱歌」)

「文部省唱歌」としか書かれていないのは、当時の世情からやむを得ないとしても「作者不詳」と書かれていると誤解されかねませんね。「えっ、こんなに薫り高い高尚な詩が作者不詳ってどういうことなの?」と不思議に思いますよね。古事記、万葉集の時代から伝えられるものなら、「不詳」があっても納得できますが、近代日本の作品が「作者不詳」では、作者も浮かばれませんよね。

このなんとも味わい深い詩を作ったと言われている高野辰之、そして作曲者の岡野貞一ってどんな人だったのだろうと、つい知りたくなります。

高野辰之は、1876(明治9)年生まれ、国文学者であり、「朧月夜」の他に「故郷」「もみじ」「春が来た」「春の小川」など国民によく知られている童謡・唱歌の作詞家です。長野県下水内郡豊田村(現中野市永江)の豪農の出身で、国文学で多くの業績を残しています。「朧月夜」の歌詞をあらためて読み返してみると、こうした深い学識がベースにあって、故郷信州の風景を思い出しながら紡ぎ出した詩なんだなという感じがします。

作曲者の岡野貞一は、1878(明治11)年、鳥取県の士族の生まれですが、幼い時に実父を亡くし貧困の中で育った人です。14歳のときに、鳥取教会でキリスト教徒として洗礼を受けており、当時、岡山の教会で、後に大阪音楽学校を創設する作曲家永井幸次からオルガンの演奏法を習っています。上京して東京音楽学校へ入学し、毎週日曜日には本郷中央教会でオルガンを弾いていたそうです。こうした経験から彼の音楽性の基盤には、「讃美歌」の響きがあったのでしょう。「朧月夜」や「春の小川」をはじめとする唱歌の旋律には、ヨナ抜き音階にこだわらずに「ファ」(ドレミファ・・・の第4(ヨ)音)が多用されており、ヨナ抜き音階にはない、柔らかな雰囲気が醸し出されていると思います。

「みわたすやまのは(ソソミファソドドレド)」「ゆうづきかかりて(ドレミドミファソドラ」のように、ミファソという上昇旋律の経過音ファを入れることによって柔らかな旋律を形作っています。

この唱歌の持つ素晴らしい抒情性をいいたいがために、話が、やや分析的になってしまいました。金田一春彦・安西愛子共著「日本の唱歌-大正・昭和編」の中でも「『尋常小学唱歌』の中で一、二を争う傑作と言われる歌である。(中略)歌詞の美しさにそえて、曲もすばらしく、多くの人が小学校で覚えて生涯忘れがたい曲として懐かしんでいる。」と賞讃されています。

佐々木基之先生が、この曲を混声四部合唱用に編曲して下さいましたが、この曲の持つ抒情性が、素敵な和声の動きに現わされていて、澄んだハーモニーで歌うと、一層田園風景の情感がよみがえってきます。

[2月21日追記] 作詞・作曲者については学説的に確かではないと書かれた記事も読みました。どう確かではないのかという根拠も掴みかねていたので、高野・岡野コンビと表記しました。先ほど、岡正章氏のブログを拝見し、その中に、本人の言葉として「私が作ったものではない」という言質があると言う文を見つけました。当時の文部省配下に唱歌編纂委員会のようなものが作られ、国からの命令で当時第一線にあった高野・岡野両名その他多数の学者が合議で唱歌を作っていたようです。その文部省から本人たちに「決して口外しないように」という指示が出ていたという事情も考えると、前記した「本人の言葉」も鵜呑みにできるものではありませんね。今となっては本人に確かめることもできないので、当時の事情その他諸々の情報を総合して、そのようだと理解するにとどめておくしかありません。旋律についても、クリスチャンであり、教会でオルガン演奏も良くした岡野の創作だとしても、輸入された讃美歌から学び取った西洋音階ないし和声の進行を基盤として創られたものと考えても不思議ではありません。

[2月25日追記]このサイトを読まれたある方から、「高野・岡野コンビ」は重大な誤記であるとの指摘をいただきました。「誤記」と言い切れるかどうかは微妙なところがあると思いますが、そのように取られる方もいらっしゃることを鑑み、タイトルの表記を訂正させてもらいました。

 

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