日経ウエブサイトに目を通していたら、「小田兼利 世界の貧しい人々に水を」という見出しが目に飛び込んできました。小田兼利さんは、熊本県天草市の漁村に生まれ、大阪大学基礎工学部卒業後ダイキン工業でエアコン技術者として8年ほど勤務したのち独立して技術系コンサルタント会社を立ち上げています。子供のころから人一倍好奇心が強く、海岸に打ち上げられたカキが炎天下で10日間も生き続ける様子を見て、貝殻の持つ耐熱性に興味を抱くなど、発明家としての素質があったのでしょう。

ホテルなどでよく見かける、数字を合わせて開錠する電子ロックや、世界的に普及した包装袋を量産する際に印刷制度を高める「光電マーク」など小田さんの発明だそうです。

目に飛び込んできた「貧しい人々に水を」供給するための水質浄化技術を海外に普及させたのが、小田さんの実行している偉大な事業であり、その陰には彼が自殺まで考えるような逆境に会いながら、それを乗り越え今に至った物語に強く胸を打たれたものです。

水質浄化剤開発のきっかけとなったのが1995年1月の阪神・淡路大震災です。何日間も水道が使えず、公園の池から水を汲んで生活用水とせざるを得ない状況の中で、小田さんは発明家としての本能を呼び覚まされたそうです。

「あの濁った水をきれいにしたい。しかも大掛かりな装置を必要とせず、一般家庭でも低コストで浄化する方法はないだろうか」

思案を重ねる小田さんの頭をよぎったのが、京都大学の研究者が約40年前に書いた論文の一部、「納豆のネバネバ成分『ポリグルタミン酸』に汚い水を浄化する作用がある」。

試行錯誤の末に、ポリグルタミン酸を安く量産する方法を編み出すことができ、災害時など公共設備が使えなくなった際などに大きな貢献をもたらすことができる技術として、全国の自治体に売り込んだのですが、実績も名もない中小企業にとって、公共事業に参入するハードルはあまりにも高かったのです。

開発のきっかけとなった阪神・淡路大震災から9年後の2004年に小田さんに転機が訪れました。従業員の中にタイ人がいて、スマトラ沖地震で被災したタイ政府から救援の要請があり、水質浄化剤を無償で提供したのです。タイ政府から大いに感謝され、タイ王室からは感謝状が贈られたそうです。

2007年にはサイクロンで大被害を被ったバングラデシュから救援の要請があり、被災地に赴くことになった小田さんは、現地の人々が口々に「私たちは災害のときだけでなく、日頃から汚い水を飲んでいる。何とかして欲しい」と訴えてくるのを受け止めました。現地では不衛生な水によって下痢になり、死亡する乳幼児も多かったらしい。

日本政府をはじめ、各地の自治体からは相手にされなかった小田さんの水質浄化剤は、発展途上国において大きな歓迎を受け、貧しい人たちにも恩恵をもたらすことになったのです。発展途上国の各地に浄水タンクを設置し、日本から輸出した水質浄化剤を使って安心して飲める水を得るビジネスへと発展していくのです。「ポリグルタミン酸」に由来して付けられた社名「日本ポリグル」は設立から6年で売上高20億円、従業員60人以上の規模へと成長しました。

しかし、事業がようやく軌道に乗りかけたころ、小田さんには恐るべき伏兵が待ち構えていたのです。親類から紹介された有能な男を信頼し、財務部長として経理を任せたうえに、子供がいない小田さんはゆくゆくは親戚にあたるこの男を後継者にしようとまで考えるようになったのですが、この男が会社乗っ取りを企み、自社工場建設の作りばなしを持ち出し、会社は20億円の負債を負い込むことになったのです。

小田さんは、会社が経営難に陥ったこともありますが、それよりも信頼を踏みにじられたことに傷つき、次第にふさぎ込むようになり、鬱症状がひどくなり「自宅マンションから飛び降りたら楽になれる」などという考えが浮かぶようにさえなったのだそうです。そうした状況の中で小田さんがとった行動は、衝動的に飛び降りてしまうことを防ぐため、自宅においては奥さんに窓のカーテンを閉め切るよう指示し、薄暗い部屋にこもって、発展途上国で出会った貧しい人々を思い浮かべ、自殺願望を振り払おうとしたのです。「日本では考えられないような劣悪な環境で、人々が必死に生きている。しかも私の水質浄化剤を必要としている。死ぬなんて甘いことを考えるな」と自分に言い聞かせたのです。

この部分を読んで感動しました。自分の使命感をしっかり持ち、目先の苦境に惑わされることなく、広い視野で世界を見つめることで、早まった行動をとらぬよう手を尽くし・・・と、私のような凡人にはとてもできないことだと思いますが、こういう人の思考、行動を心に焼き付けておくことで何か勇気づけられることがあるかもしれません。

さらに感心させられたことは小田さんの次の言葉です。「今となっては裏切られたことを、悔しいとは思わない。それより自分を陥れようとした人物が、『恥ずかしいことをした』と思うぐらいの実績を残したい」と熱く語った言葉です。

ルワンダ、タンザニア、インド、バングラデシュ・・・。小田さんは以前にも増して発展途上国を精力的に訪問し、浄水タンクを設置して回っており、その数は数百に登るそうな。

また、私は新しく知ったのですが、政府の資金が絡む場合、メーカーを通じて利益が日本に還流するように、一般に日本製の資材を使うことが多いのですが、小田さんは日本製の機材は使わず極力現地の機材を使うことで、コストを抑えるばかりか、現地で保守しやすくすることを考えているそうです。日本政府の援助で立派な施設を作ったものの保守ができないなどの理由で放置されている例が少なくないのだそうです。

水の価格は月額1ドルで毎日10リットルの水を配給するのが基本なのだそうです。平均的な世帯では毎日30リットル程度は必要で、料金は月3ドル。「貧しい人でも支払える料金にした。これで、現地スタッフの給料も払える」と、人々の暮らしに配慮した素晴らしいビジネス感覚だと感心しました。

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