2016年7月最終日の放送は、「スポーツの祭典の音楽会」です。

ゲストは、スポーツと音楽の両方について評論を続けているという玉木正之さん。初めて聞く名前です。ゲストの方には申し訳ないのですが、番組中の彼の口から出た言葉には特に印象に残るものがなく、代わりにテロップで流された事柄が印象に残りました。おそらく放送の裏で彼から提供された様々な情報なのでしょうね。20160731A

初めに演奏された「オリンピック・ファンファーレとテーマ」は、あまりなじみがない曲なのですが、1984年ロサンゼルス大会に合わせて、ジョン・ウィリアムズが作曲したものでそうです。装飾的に金管楽器で奏でられるフレーズがどことなくゲーム音楽を連想させるようなリズムと節回しで、そう言われてみるとだいぶ昔ですがテレビのニュースか何かで聴いたことがあるようなかすかな記憶が耳に残っているような気がします。20160731B

スポーツといえばオリンピックと同じくらい世界中を湧かせるものは何でしょう?とクイズじみた紹介で「サッカー・ワールドカップ」の話題に切り替わり、応援席から大合唱が流れるようになったG.ヴェルディの歌劇「アイーダ」の中の「凱旋行進曲」が次に演奏されました。ここで、紹介されたのが「アイーダ・トランペット」と呼ぶ長ーい楽器で、あらためて見るのは私は初めてです。なぜこんなに長い楽器が作られ、そして使われたのか説明を聴き逃しましたが、発音位置が奏者の耳から遠くなるため演奏者泣かせの楽器なんだそうです。ステージの両サイドにそれぞれ2本のアイーダトランペットが配置され、独特のスタイルの演奏でした。20160731C続いて、A.コープランド作曲の「市民のためのファンファーレ」が演奏されました。

ゲストから、スポーツと音楽の強い結びつきについて解説がありました。かつてはオリンピックの正式種目として「芸術競技」というのがあり、音楽、美術、舞踊など一緒に行われていたとのこと。「音楽」が「競技」というのは一寸解せないですね。スポーツの祭典を華やかに盛り立てるために音楽が演奏されることには全くもって同感です。歴史的には1912年ストックホルム大会で正式種目に取り入れられてから、1952年の大会で廃止されるまで続いたそうです。廃止されたといっても、まったくなくなったわけではなく、オリンピック大会が開催される同時期に近くの別の会場で、様々な催しが開かれているそうです。

今回のテーマの番組の最後を飾る音楽は、もう言わずと知れた、1964年に東京で開かれた「東京オリンピック・ファンファーレ」と「オリンピックマーチ」です。戦後生まれの私は、日本が成長していく姿になんらの感慨もなく、ただお祭り騒ぎのようにはしゃいでいた記憶があるのですが、番組で紹介されていたように、戦争を経験した世代の人たちにとっては、世界各国の人びとが同じ場所で同じ目的で次々と入場する、あの入場行進の光景を、きっと涙なしには見られなかったのではないかと思います。yjimage

「オリンピック・マーチ」が、有名な古関裕而の作曲によるものだとははっきり知っているのですが、「オリンピック・ファンファーレ」が公募によって、諏訪交響楽団の指揮者をしていた今井光也氏の作曲だということは今日初めて知りました。▷をクリックして、あの、懐かしく胸に響くオリンピック・ファンファーレをお聴きください。

オリンピック・ファンファーレと同様に、古関裕而氏が作曲した東京オリンピック・マーチも、印象の深い音楽として耳に残っています。今回の番組では、管弦楽団の演奏で、それはそれで優雅な響きではありますが、吹奏楽の力強い響きこそ、あの晴れ渡った国立競技場のもとで展開された世界各国の人々が繰り広げるスポーツの祭典にふさわしいもののように思います。

当時中学生だった私は、この曲が大変気に入って、お小遣いをためて17cmLPを買い、何度も繰り返し聞いたのを覚えています。今でも、この曲を聴くと、心躍るというか、気持ちが前に進む勇気を与えられるような気がします。

市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」も、感動を与えてくれた作品に仕上がっていたという記憶があります。それに関する細かな記憶は残っていなかったのですが、広島に原爆が投下された8月6日に合わせて書かれた今朝の読売新聞第一面の「編集手帳」に引用されたオリンピック記録映画の最後の画面で消えていく聖火に重ねた字幕の言葉に強い共感を覚えました。

<人類は四年ごとに夢を見る。この作られた平和を夢で終わらせていいのであろうか>

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