一念発起してピアノを本気で練習することを決心し、毎日30分と短い時間ですがコツコツと鍵盤に向かって、老化による様々な身体能力の衰えに逆らっています。ある日、ある書店に立ち寄った際に「独学でピアノを勉強するときに何か参考になる本がないか」と、書棚を漁っていたら「挑戦するピアニスト 独学の流儀 金子一郎」(春秋社初刊第1刷2009年、第10刷2015年)という本に出合いました。裏表紙に著者略歴を見ると、早稲田大学理工学部数学科卒とあり、目次を繰ってみると、そこには「曲を仕上げる手順」「陥りやすい罠」「弾けないときの処方箋」「練習の常識・非常識」「ピアノから広がる世界」云々と、これからピアノに取り組もうとしている自分が嬉しくなる文字がずらずらと並んでいるではありませんか。300ページ近い、結構読み応えのある本で、定価2300円でしたが迷わずレジに向かいました。
音大で専門的にピアノを勉強した人ではない著者の「独学の流儀」という言葉に単純に釣られて買ってしまった自分がバカでしたが、第1章「グランプリまでの道のり」を読み進むうちに、いやはや「とんでもない人なんだ」と驚嘆し、「とても自分が参考にできるレベルではないぞ」と、後悔の念が沸き上がってきました。著者は4歳の頃、オルガン教室に通い、小学校入学前にピアノ教室に移っています。ご両親は、音楽の専門家ではないにしても、どちらも音楽好きで、著者は物心つく前から音楽に囲まれた生活を送ってきています。ここからして、自分なぞとは大違いです。ウエブサイトで、この本の評判を検索してみると、称賛する声がずらりと出てきました。第1章に、控えめな言葉ながらもコンクールなど輝かしい経歴をズラッと並べているのはこの後に述べる著者の流儀が本物なんだという箔を付ける意図なのかと、ちょっと抵抗を感じましたが、第2章「曲を仕上げる手順」へと読み進むうちに、著者が数学科卒というだけあって、いわゆる感覚人間の部類ではなく、理論的、分析的、かつ体系的に物事をとらえており、「これは自分でも参考になる本だ」と思えるようになりました。譜例も沢山引用してあり、著者の言いたいことが、言葉でいい表すことが難しいことでも、楽譜を通して、その音楽を感ずることができて感心しました。といっても、まだ私には全ての楽譜から、即座にその音楽を感じる力もありませんが、こういった図書の中で、楽譜が果たす力はすごいと思います。
まだ初めの4分の1位しか読んでいませんが、先が楽しみです。いつもの癖で、著者の演奏を聴いてみたいという思いに駆られユーチューブで検索すると何件もの投稿が見つかりました。早速聴いてみると、演奏する著者の風貌もさることながら、温かみ、優しさが溢れる音楽に感心してしまいました。ベートーヴェンの「テンペスト」を聴いてみるとそれがよくわかります。これまで、いろいろな人の演奏を聴いてきましたが、この曲は「テンペスト=嵐」の題名が現わすように、激しい力が現わされていて、多くの演奏者が、ピアノも壊れんばかりのエネルギッシュな打鍵を繰り返すのですが、著者の演奏を見聞きして感じたのは、「ピアノという楽器も所詮楽器に過ぎない」、ピアノの特性、即ち、ピアノで出せる音の限界を理解して、ピアノの素晴らしい音色を最大限使いこなして、作曲者がその曲に込めた感情を引き出せるかということに神経を使っているという感じでした。激しいパッセージも、フォルテッシモのまま投げ出すような弾き方でなく、フォルテッシモで訴えた後は、パッセージの終わりに向かって優しく、まあるく納めていくというような弾き方が特徴的でした。