暦は四月に入ったというのに、肌寒い日が続いて、用がない限り戸外に出る足が鈍る毎日です。各地で桜の開花が進んでいるというニュースが例年のごとく聞かれます。今日は久しぶりに会うご夫妻と、立川で食事をして、その後昭和記念公園にでも足を延ばそうかと計画しています。昭和記念公園の桜も丁度見頃ではないかと、計画を立てたころの予報では天気もよさそうだったのですが、いざ今日になってみると、午後は雨が落ちてくるような空模様です。

日本人の心に、春の桜を愛でる気持ちは古より時代を経ても変わらず誰しも持っているようです。花見の姿は様々あるでしょうけれど、酒を酌み交わすのもその一つですが、飲めや歌えのにぎやかな花見よりも、私は静かに自然の与えてくれる永遠に繰り返される美しさに感謝しつつ、共と語り合えるひとときを楽しむ方が合っています。

桜の花盛り、の季節になると必ず私の心に浮かんでくるのが「春の弥生の曙に、四方の山辺を—」という歌です。春の弥生

山梨大学合唱団にいたころ、信時潔の合唱曲に惹かれて「いろはうた」「あかがり」「深山には」「子らを思ふ歌」「春の弥生」「大島節」を歌いました。「いろはうた」は高校生の時に歌った曲でしたが、その他の曲ははじめてでした。それぞれに信時潔の音楽性が発揮された素晴らしいところがあります。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた天台宗の僧、慈円が残した「春の弥生の」は、雅楽越天楽のメロディーに合わせて越天楽今様として当時盛んに歌われたようですが、東京音楽学校で学んだ信時潔が混声四部合唱曲として創ったこの音楽にも素晴らしいものがあると私は思っています。

「四方の山辺をみわたせば」詳しく調べてはいませんが、おそらく当時の文化の中心地であった奈良、京都の里山に植生する桜が開花してそれまでモノトーンであった山肌に、「白雲」がかかったように見えてきた景色を眺めて、平穏無事を祈る気持ちを抱きつつ、毎年繰り返される天地自然の偉大さ、雄大さに感嘆して歌ったものだと思います。時代は変わりますが、私が神奈川のこの地に暮らし始めて20年以上経ち、西方に連なる丹沢山系の山肌にも、毎年「春の弥生」には同様の「白雲」がかかった景色を眺めることができ、平安、鎌倉時代の人々の想いを共有できたような、一寸うれしい気持ちになります。

合唱曲「春の弥生」の作曲年代がちょっと気になったので調べてみました。カワイ楽譜から出版されたものに添えられた山本金雄氏の注釈には「大正八年に発表された『日本古謡』の一つ」と書かれています。信時潔のお孫さん、信時裕子さんがまとめられた「信時潔作品集成(2008年刊)」に収められた「信時潔年譜」によると、「春の弥生」は1911(明治44)年作曲となっていました。こちらが正しいのでしょう。このとき信時潔は24歳。前年に東京音楽学校本科器楽部を卒業し、研究科器楽部に進んでいます。西洋音楽の和声の響きを学びながら、その中で大和の春の雅やかさを表現しえた才能には驚きすら感じます。

 

 

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