シベリウスと聞けば、多くの人が「フィンランディア」を思い浮かべることでしょう。文部省学習指導要領に基づき、歌唱用に「賛歌」、もしくは観賞曲として「交響詩」が、中学校2,3年用教科書に掲載されているので、好き嫌いはあるにせよ、日本人の誰もが少なくとも一度は耳にしたことがある曲です。「賛歌」は、讃美歌298番「やすかれ,わがこころよ」として載っているので、こちらで混声4部のハーモニーを味わいながら楽しんでいられる方もいらっしゃるでしょう。高校生の音楽教科書(音友社)にも、混声四部合唱が掲載されているようです。

作曲者のシベリウス(Jean Sibelius 1865~1957)については、私はこれまで「フィンランディア」を作曲した北欧の作曲家というくらいしか知りませんでした。フィンランドの国民的作曲家で、ヘルシンキ音楽院でバイオリンを作曲を学んだ後、ベルリンとウィーンで勉学を続けて、フィンランドの民族主義的ロマン主義の道を開いています。

その彼の人となりを現した、興味深い言葉を見つけたので紹介させてもらいます。

「その威厳に満ちた外見からは想像もできないが、戦災で憂鬱症的なところがあった。常日頃から批評を気にし、初演での反応を見て全面的に改作したり、演奏禁止にすることも少なくなかった。しかし、あるときから、批評に流されることなく、自分の道を行く”強さ”を意識するようになる。そんな彼が、自らを奮い立たせるように発した言葉がこれ。

『批評家がなんと言おうと気にしないことだ。これまで批評家の銅像が建てられたことがあったかね。』」(平成23年 沢辺有司著「音楽家100の言葉」彩図社刊 より)

同書によれば、ヘルシンキのシベリウス公園には、シベリウスの顔面像が飾られているとのことなので、どんな顔面像が飾られているのか知りたくなり、インターネットで検索してみたのがこれです。左上の写真とそっくりで、近づくのが怖い感じがします。どのくらいの大きさなのか、この写真ではよくわからないので、他の写真を探してみました。そばに人が立っていますから、分かりますね。大きな石の上にデーンと顔面像。日本ではあまり見られない光景ですね。文化の違いを実感させられます。交響詩「フィンランディア」に、話を戻します。曲頭に重々しく響く金管楽器による「苦難のモチーフ」を一聴しただけで、この作品が印象づけられます。しばらくすると、闘争への呼びかけのようなモティーフが、金管とティンパニで激しく打ち鳴らされます。いくつかの闘争への呼びかけモティーフが繰り返された後、一転して勝利を噛みしめるような、賛歌風のよく知られた旋律が流れます。楽器を変えてこの賛歌が繰り返された後、曲はクライマックスを迎えフィナーレとなります。こうした曲のイメージから、作曲された時代背景をどうしても知りたくなってきます。音楽をきっかけにして、歴史を再認識し、あらたな発見をするというのもなかなか楽しいものです。

フィンランドは13世紀以来、西隣のスウェーデンからの布教や文明の伝播を受け、深い関係を持っていました。そのスウェーデンが1809年、ロシアとの戦いに敗れ、フィンランドはロシアの傘下に組み入れられたのです。ロシアの皇帝が代々変わり、1894年帝位についたニコライ二世は属領諸国の自由を制限し、はく奪する政策を強行したため、これに対する抵抗、抗議運動が起こり、フィンランドの太古から現在に至る場面を連ねた歴史劇上演が計画され、その音楽をシベリウスが担当することになり、その中に、後に交響詩「フィンランディア」となる曲が含まれていたのでした。ロシア政府の弾圧のもとでの上演には、様々な障害があったのでしょう。この障害を乗り越え、現在私たちが耳にすることが出来る形の音楽になるまでいろいろな経緯があったようです。

今や、フィンランドの第2の国歌として親しまれているこの賛歌の旋律を聴くと、帝政ロシアの圧政に苦しめられつつ、祖国を取り戻そうと強く願った祖先を思うフィンランド国民の心の中の思いが伝わってくるような気がするのは私だけではないでしょう。

 

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