今年の春は、初夏の陽気に浮かれたり、真冬並みの寒さが戻ることもあったりするため防寒衣類の片づけが進まなかったりで、身体の調子を平常に保つのに苦労しました。予想外の気候に戸惑わされながらも、やはり日本人は桜の花を見ると心を動かされることがあるようです。様々な社会情勢の動きに一喜一憂しながらも、また春がやってきたのだという喜びを感じるとともに、大地自然の悠久な営みの尊さの中で、人々の行ないが浅はかなものであってはならないなとあらためて戒められます。

閑話休題、健康維持を兼ねて自宅周辺を歩いているのですが、今日(3月30日)は1万歩を目指して桜の花を愛でながら一寸遠くまで足を延ばそうと歩きだしました。

自宅の南方に広がる都市計画整備地区は、現在貸し農地として運用されてきています。ただ貸し出す単位がヘクタールのように大規模なものであり、開発当初は壮年期だった借主が最初は盛んに作られた農作物で土地は覆われていたのでしょうが、借主も歳を取り農作業がままならなくなったのでしょう。今や荒れ野のほうきぐさとなって土地は裸同然です。このあたりの地質は富士山の火山灰土で覆われており、軽い微粉末状なために、少し強めの風に舞い上がり、空が茶黄色く見えるほど土埃がひどいのです。毎年、春先になるとこのあたりは強風が吹き荒れ、洗濯物を干すのに難儀するやら、土埃に覆われた自動車の手入れもままならなくなってきます。市役所開発課職員に、別件で会った時に聞いてみたところ、ここの都市計画整備地区について計画が見直されることは当分無いと言うことでした。緑地が広がるのが理想ですが、住宅が建つのでも結構、何とかして欲しいと思います。

そんな日頃の悩みも今日はどこかへ行ってしまい、おだやかな散策日和です。7~800m先に眺める小高い山肌に点々と望まれる白い模様は山ざくらでしょうか。毎年、この光景を見る度に浮かんでくるのが、山上憶良が詠んだ歌です。

春の弥生のあけぼのに 四方の山辺をみわたせば 花盛りかも白雲の かからぬ峯こそ なかりけれ

のどかな気分を味わった後、自動車が行き交う県道に入り現実世界に戻ります。道路沿いには小規模の工場、商店、住宅などが立ち並びますが、古くからこの地に住む有力者らしい邸宅が少なくありません。きちんと手入れされた植栽が通る人の心を和ませてくれます。車で通るときには何の気なしに通り過ぎるだけですが、歩いて通りかかるときには、見事な植栽に見とれてしまい、思わず立ち止まって眺めいることになります。

通りかかった保育園では、元気な園児たちの声が園庭に響き渡っていました。しばらく立ち止まって眺めていると、元気な園児たちに負けず劣らず職員の活発な動きに感心させられてしまいました。園庭の片隅にも鮮やかなピンクの花が咲き誇っています。こうした光景があることによって園児たちの心に自然の美しさを愛でる心が育まれていくのでしょう。道路沿いの住宅の庭から、誇らしく空に向かって手のひらを広げるように咲き誇る木蓮の花が顔を覗かせていました。同じく、陽光を浴びて見事な彩を見せるつつじ(?)。ようやく高田橋にたどり着きました。橋の欄干から、河川敷に広がる人工物の公園、土手に植えられた桜並木を眺めるのもまたおつなものです。河原で戯れる父と息子。川面に向かって石を投げ、「水切り」のお手本を示しているお父さん。こうした親子のふれあう姿を見るのは微笑ましいことです。

通りがかりに見つけた、城跡の標識。遠くから漢字を一目見て「おざわ」かと思いきや、「こさわ」と仮名が降ってありました。ここまでに一万歩をすでに達成していたのですが、「城跡」というからには、眺めが良いに違いないだろう、折角ここまできたのだから相模川を見渡せるところまで登ってみよう、と足を延ばすことにしました。期待に胸を膨らませながら、息を切らせて急な坂道を登ってみたところがどっこい、城址と思われるところ一帯がロープで仕切られていて「立ち入り禁止」の看板が。

骨折り損のくたびれ儲けにがっくりして、坂道を下りました。高田橋の手前にあった「諏訪神社」に参拝することにしました。今でこそ立派な階段が作られているけれども、神社が創建された頃はさぞかし石段を積むのも一苦労だったに違いないでしょう。

出発前の計画では、高田橋で折り返すつもりだったのですが、予想外の寄り道をしたため、15,600歩となりました。

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