電車に乗っている間に、嵩張らず、手軽に読める文庫本を駅ビル内の本屋で物色したところ、この本が目に留まりました。
『とんでもなく役に立つ数学』西成活裕(にしなりかつひろ)角川ソフィア文庫

最初、『数学』という文字から、「手軽」というイメージから違ったものを感じたのですが、一風変わった『とんでもなく役に立つ』というタイトルに興味を持って手に取り、目次に目を通しました。
第一章 いつも胸ポケットに難問を
公式は忘れても、考え方は忘れない
現象の背景にある「理論」が知りたい
数学で、社会の役に立ちたい
・・・・・・・
・・・・・・・
第二章 数式から呼吸が聞こえる
第三章 ループをまわして、リアルな世界へ
第四章 社会の大問題に立ち向かう

この目次に目を通してみると、どうやら堅苦しい話ではなさそう。むしろ、社会生活に密着した学問としての数学って、どんな側面が見えるのだろうかという関心が引き起こされました。著者が15年前から取り組んでいられる専門研究分野である「渋滞」とのかかわりについて、書かれている内容から察せられる、「変わり者」の著者の人間性が感じられ、自分にも、研究者の足元にも及ばないけれども、似たような「変わり者」と呼ばれかねない面があるように思えて、親しみを覚えながら読了しました。

著者が渋滞を研究対象に選んだ理由として、「なるべく人がやっていない領域で、しかも実現すれば効果がものすごく大きいものを探していた」ところ、「道路の交通渋滞による経済損失は、年間の国家予算の7分の1にあたる12兆円」と莫大な損失だと知り、また著者が博士課程で研究していた「流体力学」であったことも、「ものの流れ」というつながりで相性が良さそうだという直感があったのだそうです。「流体力学」は、皆さんご存知のように、古くから様々な研究がなされてきた分野ではありますが、その研究対象はほとんどが水や空気です。車や人、モノの流れについては、誰も手掛けていなかったということも、著者の反骨精神?を鼓舞したようです。

渋滞の研究 意外なことは、著者は子供の頃から「渋滞」が大嫌いで、小学生の頃、人込みで目眩がして病院へ行ったことがあるのだそうです。その著者が「渋滞」の研究をいざ本気で始めてみると、自分の中で不思議な変化が生じたそうです。嫌いな「渋滞」をより深く知ることで、「渋滞」に巻きこまれても冷静に対応できるようになった。「なぜ混んでいるのか」「どうすればこの渋滞は起きなかったのか」を一つ一つ分析できるようなったということです。研究者らしいですね。

「嫌いで遠ざけてばかりいると、何も発展はない。時には嫌いなものを敢えて受け入れてみることで発見が得られる」非常に参考になる言葉です。

かといって、次の言葉も真摯に受け止めなければならない大事なところだな、と肝に銘じておかなければならないと思います。15年の道のりは長く険しいものだったそうです。「渋滞」の研究に対する、まわりの反応は冷たかったのです。学会で最初に発表した時は、なんと聴衆がゼロだったのです。誰も注目してくれない悲しさに泣く著者を励ましたのが、「最低7年は続けてやって見ろ」という先輩の言葉。こういう時の先輩の言葉はとても貴重ですね。

堅苦しい話どころではなく、とても人間味のある話に興味がわき、どんどん読み進みました。

「人の流れ」にかかわる話で、びっくりした意外な話がありました。ちょっと遠い国のことなので私たちの身近にはピンと来ないことですが、よく耳にするメッカの巡礼についてサウジアラビアと共同研究を進めているそうです。毎年、イスラム歴の巡礼月の数日間、世界中のイスラム教徒がサウジアラビアのメッカに集まりますが、その数はおよそ300万人と言われています。大混雑が発生し、事故も起きています。1990年には、メッカ郊外のトンネルで1400人が圧死する大惨事も起きています。ここまでの大惨事ではないけれども2005年には橋の入り口で364人が圧死しています。当然ながら、様々な対策が取られてきており、その一環として著者を含めて世界から10人程度の専門家を呼んで対策に当たっているそうです。意外だったというのは、サウジアラビアの300万人という人の集まりが事故を起こしているのですが、比較的身近な東京・新宿駅の1日の利用客数が、同じく300万人なんだそうです。ギネスブックにも載っているそうです。一方では、数百人を超える死者を出しているのですが、一方では毎日繰り返されているにもかかわらず、事故は起きていない。この違いはどこにあるのだろうかと気になりますね。

そうです。「毎日繰り返されている」というところがポイントで、新宿駅では皆がどのように動けばいいのかを知らず知らずに学習して、自然と秩序が生まれてきているのです。
1年に一度だけ、中には一生に一度だけの人もいるメッカでは、自然発生的な秩序があるはずもありません。

「渋滞」を少なくする方法として、「秩序」が大事だということがわかりましたが、この道理を活かして「12兆円の国家損失」をもっと減らせないかと思うのが「交通渋滞」の問題です。車間距離を多くとれば、車の流れは良くなるということは実験でも確かめられているようですが、まだまだ現実の社会では、渋滞の問題は解決していませんね。

数学の力では、まだ解決できない、「人間の心理」が鍵を握っているようです。「人間の心理」に、数学のメスが入って解決していくべき社会問題が、まだまだ数多く残されているように思います。この本の著者のような研究者が、もっと沢山出てきて活躍してくれること、そして彼らを支える社会体制の充実が強く望まれるこの頃です。

 

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