町田市の市民フォーラムを毎月2回の定例会の会場にして開院している「おもちゃ病院」について、別稿でかきました。ここでお世話になっている先輩ドクター、T氏が関東北部を流れる渡良瀬川の渡し船(現地では「揚げ船(あげぶね)」と呼んでいるそうです。)の船頭さんとしてNHKの「新日本風土記」で紹介されると聞き、オンエアされるのを楽しみに待ち、番組を観賞させてもらいました。(放送2018年3月30日 再放送同4月 日 再々放送 同4月 日)

「揚げ船」と呼ぶ理由は、この船が年間を通して運用されてはおらず、渡良瀬川が洪水に見舞われる季節に臨時の交通機関として利用され、それ以外は民家の軒先に吊るしている(揚げる)ところからきているそうです。この揚げ船も時代の流れに押されて、後継者も減ってきて存続が危ういところにきているようです。NHKが、渡良瀬川流域の文化を紹介する中で、この「揚げ船」も一つの重要なトピックとして取り上げられることになり、残り少なくなったベテラン船頭と一緒に船を漕ぐ船頭さんを募集したところにT氏が応募して船頭をすることになったそうです。1時間の番組の中で、渡し船の風景は数分足らずでしたが、渡良瀬川とその流域で生活を営む人々の暮らしぶり、また忘れることのできない足尾鉱毒事件にまつわる出来事などが紹介される、考えさせられることが多い充実した内容の番組でした。

渡良瀬川は、栃木と群馬の県境にある皇海山(すかいさん)に源を発し、栃木群馬の両県を縫うようにして流れ、利根川と合流するまでの111kmの流域は、そこに住む人々の暮らしと共に様々な変遷をたどってきました。渡良瀬川といえば、すぐに連想されるのが足尾銅山です。現在は日光市の一部となった足尾町は、渡良瀬川最上流部にあり、足尾銅山によって大きな繁栄が持たらせられました。かつて3万人を超える人口を誇った足尾町ですが、いまや2千人足らず(平成30年4月現在)となってしまいました。明治時代、日本の近代化を支えた足尾銅山ですが、銅の精錬過程で出る亜硫酸ガスによって、足尾の山々の木々は殆どが枯れてしまい、いわゆる「はげ山」となったという話は有名ですね。今は地元の人たちの努力もあり、緑が戻りつつあります。

「足尾鉱毒事件」の被害は、「はげ山」だけではありません。銅の精錬過程で排出されるのは、大気中に放出される亜硫酸ガスと同時に、工場排水に含まれる種々の化学物質(硫酸、アンモニア、亜硝酸、銅など)が渡良瀬川に流れ込み、魚の大量死、農作物への被害と広がり、住民の生活を脅かす甚大なものへとつながります。栃木県出身の衆議院議員田中正造がこの問題に献身的に取り組み、国会で取り上げたことにより全国に知れ渡ることになります。被害の元凶となる工場の操業停止を求める運動も当然起こる訳ですが、時あたかも日露戦争が勃発し、戦略物資として重要な銅の生産を止めるわけにゆかない政府が採った対策は、「操業停止」から、「治水対策」にすり替えることになりました。

渡良瀬川の河川水に含まれる有害物質は、台風の季節には洪水となり、栃木・群馬両県に止まらず、埼玉・茨城まで広がります。渡良瀬川は,埼玉県古河市あたりで利根川と合流し太平洋へと流れだしますが、合流地点の手前に遊水地をつくり、有害物質を沈殿させて下流への流出を防ごうとするものです。遊水地を作ろうとする動きに対して、そこにあたる谷中村3000町歩の住民の反対運動に田中正造も参加しています。田中正造は、国がこの問題に取り組もうとしないことに憤り、国会議員を辞職し、天皇への直訴を試みるなど、終生この問題に取り組みました。「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水地ですが、その背景には、田中正造含め多くの住民の苦難の歴史があることを決して忘れてはならないと思います。

番組では、この他にも」渡良瀬川流域の人々の生活の一端として、「わたらせ渓谷鉄道」「ながめ余興場」などを紹介しています。広い視野でこの地域一帯を取り上げた充実した一時間でした。「わたらせ渓谷鉄道」は、旧国鉄足尾線が、足尾銅山の閉山もあり廃止路線になった後、第3セクターが立ち上げた観光目的を主とした鉄道です。私もかつて、群馬に住む弟家族の誘いがあり、この鉄道に乗って渓谷美を楽しんだことがあります。番組で紹介していた、鉄道の乗車員にお弁当をボランティアで届けている沿線のおばあさんの元気な笑顔が印象的でした。「金をもらっちゃ、おら、つくらねえ」と頑固に言い切るおばあさんの律義さに感心させられました。

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