明治の始まりと共にこの世に生を受け、明治維新の日本をつぶさに見ながら、独特の批判精神で多くの日本人の心をつかんだ「国民的作家」と称される夏目漱石。今年は、夏目漱石没後100年に当たる年になり、記念的イベントも多く企画されていることでしょう。今朝の新聞を開いて目にとまったのが、夏目漱石特集としたシリーズ記事で、興味深く読みました。新聞読者からの投書の紹介、および著名人による夏目漱石にかかわる文章から成っています。夏目漱石「真面目にふざける魅力」 - コピー

記事の大見出し『「真面目にふざける」魅力』というのが言いえて妙だと思います。100通近い投書は、「坊ちゃん」「猫」「草枕」に関するものが多く、紹介された内容をみると、いずれもなるほどと共感できるものがあります。勿論この記事を書いた記者の視点に私と共通するものが少なからずあるのでしょう。

「江戸への愛情、哀惜」の小見出しのもとに、劇作家・演出家であるマキノノゾミ氏の文章も面白いものがあります。明治維新という激動の時代を経て今日の日本社会があるわけですが、良し悪しは勿論あるでしょうけれども、この明治時代に大きな仕事をした人が残したものから、当時の日本の息吹きというか、独特の魅力を感じます。マキノ氏の文章を一部引用させてもらいます。

「(前略)僕が漱石をいいなあと思うのは、失われゆく江戸への愛情、哀惜が感じられるところ。明治に入って日本人は、それまで持っていた日本的なものを捨て去り、ものの考え方、学問の仕方から文学まで、西洋の近代に追いつこうと随分無理をした。当時から無理はたたっていたし、それは今も続いている。だから漱石は今も有効なんだと思う。恰年漱石は、無理の部分を小説の主題として深めていく。(後略)」

「捨て去った」ことの是非を論じても仕方がないのですが、「捨て去られたもの」は決して取り返しのつかないものには限らないと思います。古くから伝えられてきた日本人の大切なものは、現代を生きる私たちの目でよく見て、良く考えて私たちの暮らしの中に取り入れ、また次の世代の人たちへ残していくことに努めて行くものではないかと思います。そうした意味で、漱石の作品を味わうことや、私の好きな作曲家信時潔の残した音楽に込められた日本的な情緒、荘厳な美しさを噛みしめながら、新しい時代に引き継いでいくことが大切なのではないかと思います。

色は匂えど散りぬるを 我が世 誰ぞ常ならむ

有為の奥山 今日越えて 浅き夢みじ 酔いもせず

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