2016年8月21日日曜日、猛暑も幾分おさまりかけたとはいえ、日中街中を歩くと汗が噴き出る日が続きますが、そんな暑さも忘れるような澄んだハーモニーに惹かれて月一度の例会に集まりました。殆ど毎回欠かさず、山梨からはるばる参加してくれるOZさん夫妻が今日は珍しくお休みでした。いつも、男声が比較的少ない中で、気持ちよいバスパートの響きを聴かせてくれる人がお休みとなるので、今日は男声が淋しくなるなと心配していると、豈測らんや、今日は女声が極端に少なく、逆に男声の方が多くなりました。それでも、バスパートが少なくなり、バランスを欠くので、いつもテナーパートを唄わせてもらっている私は、バスパートを唄わせてもらうことになりました。

全体を聴き合いながら歌うので、女声が隠れてしまわないように男声はいつも以上に抑え気味にして、歌いました。そのせいかも知れませんが人数のアンバランスさもさりながら、なかなか良い響きで気持ちよくハモれたように思います。

讃美歌、そして佐々木先生が編まれた「音感合唱曲集」からいつもの曲をハモって楽しみました。

「音感合唱曲集Ⅰ」の「美しき(我が子やいずこ)」、原曲はスコットランド民謡「スコットランドの釣り鐘草」として広く知られている曲ですが、この曲集には「小学唱歌」と印刷されています。以前投稿した「朧月夜」に関する記事の中で、現在は作詞者高野辰之、作曲者岡野貞一と知られていますが、当時は国からの指示で委員の合議によって作られたものとして個人名を出すことが憚られたという由来を書きました。私はそのことについて疑問を感じており、想像ですが佐々木先生も快く思ってはいらっしゃらなかったのではないかと気になっていたので、休憩時間に奥様と娘さんに「先生は、何かおっしゃておられなかったですか?」と尋ねてみました。特に記憶に残っているようなことは無いとのお話でした。その時に、奥様から書架に沢山並んでいる楽譜を指して「そこの『山田耕筰作品集』を、ご覧になって見て下さい」とのお言葉があり、貴重な資料の一つを見せていただきました。

アルバムを開けると、中に昭和初期に刊行された「山田耕筰歌曲集(?)」と一緒に、著者山田耕筰と印刷された2つの歌曲ピースが入っていました。出版されたのが大正13年と印刷されていましたから佐々木先生が23歳のときに発行されたものです。一つが「美しき我が子やいずこ」、もう一つが「閨の板戸の」でした。長い年数が経っているため、かなり茶色く変色しているものですが、しっかり読めます。山田耕筰もその代表的な音楽家ですが、当時の日本は盛んに西欧から音楽を取り入れて、それらを日本の文化に取り入れようとしていた時代です。この2つの歌曲も原曲は外国のもののようですが、山田耕筰がピアノ伴奏譜を付けています。「美しき」は、佐々木先生の編曲で歌い親しんできた曲ですが、「閨の板戸の」は初めて見る曲です。ハ調長四分の四拍子で、唄い易いメロディーだったので、どんな曲なのか口ずさんでいると、MWさんが楽譜を見ずにピアノで伴奏を弾いてくれました。恐らくMWさんが幼少の頃にか佐々木先生のお導きで、この曲に触れ、すっかり頭の中に入っているのでしょうね。私はそれに甘えて、一番を16小節通して歌わせてもらいました。思いがけない出来事で感激してしまいました。

「閨の板戸の」を帰宅して調べてみると、池田小百合さんのサイト『なっとく童謡・唱歌 音楽取調掛の業績・・・』によると明治15年に出版された『小学唱歌集』初編に収められた33曲の中の19番目のもので、「アメリカでは『The Morninng Song』として歌唱」とありました。IMG_20160827_0001                        d-scoreソフトにより印刷

こうして調べていくと、明治時代に西欧の文化を貪欲に取り入れ、西欧に追いつこうとエネルギッシュな活動を続けていた当時の文化人に対する感謝の念が益々強まり、もっともっと知りたい、断片的でなく、統合的に把握したいという欲望が湧いてきます。

 

 

 

 

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